背番号「1」は、多くの球団でチームの顔や主軸が背負う特別な番号だ。
中日ドラゴンズでも、球団が誕生した1936年から現在まで、この番号を託されたのはわずか17人しかいない。
初代の丹羽淑雄から、いまグラウンドに立つ岡林勇希まで——名二塁手あり、日米で活躍したスラッガーあり、さらには監督として背負った人物まで、その顔ぶれは中日の90年の歩みそのものだ。
本記事では、歴代17人の在籍期間・通算成績・獲得タイトルを、NPB公式記録をもとにひとりずつ辿っていく。
中日ドラゴンズ 歴代背番号1 一覧
| 代 | 選手名 | 背番号1の期間 | ポジション | ひとこと |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 丹羽淑雄 | 1年(1936) | 投手 | 初代背番号1 |
| 2 | 小島茂男 | 3年(1936〜1938) | 内野手 | 戦前のレギュラー |
| 3 | 戒能朶一 | 3年(1938〜1940) | 内野手 | 「1番・二塁手」 |
| 4 | 大沢紀三男 | 2年(1947〜1948) | 投手・外野手 | 野球一族の一人 |
| 5 | 坪内道典 | 3年(1949〜1951) | 外野手 | 史上初の1000安打/殿堂入り |
| 6 | 牧野茂 | 6年(1953〜1958) | 内野手 | 巨人V9の名参謀/殿堂入り |
| 7 | 本多逸郎 | 2年(1959〜1960) | 外野手・投手 | 盗塁王 |
| 8 | 濃人 渉 | 2年(1961〜1962) | 監督 | 唯一、監督として着用 |
| 9 | 高木守道 | 20年(1963〜1982) | 内野手 | 球団史を代表する名二塁手/殿堂入り |
| 10 | 藤王康晴 | 4年(1984〜1987) | 内野手 | 鳴り物入りのドラ1 |
| 11 | 近藤 真市 | 4年(1988〜1991) | 投手 | デビュー戦ノーヒットノーラン |
| 12 | 種田仁 | 6年(1992〜1997) | 内野手 | ガニ股打法 |
| 13 | 福留孝介 | 9年(1999〜2007) | 外野手 | 首位打者2回・日米で活躍 |
| 14 | 堂上直倫 | 7年(2008〜2014) | 内野手 | 地元出身の内野手 |
| 15 | 友永翔太 | 4年(2015〜2018) | 外野手 | 社会人経由の外野手 |
| 16 | 京田陽太 | 4年(2019〜2022) | 内野手 | 新人王/現役 |
| 17 | 岡林勇希 | 3年目(2024〜現在) | 外野手 | 現在の背番号1 |
戦前〜戦後初期の系譜
丹羽淑雄【初代背番号1】
1914年1月20日生/ドラフト制度前(1936年入団)
右投右打/投手/プロ通算1年
背番号1の期間:1年(1936)
通算成績:公式戦出場1試合(代走のみ・登板なし)
記念すべき初代の背番号1は、旧制一宮中出身の投手・丹羽淑雄。球団創設初年度の1936年に在籍したのみで、同年10月にはチームを去っており、プロでの在籍はこの1年だけだった。成績こそ残せなかったが、名古屋軍(現・中日)で最初に「1」を背負った選手として、系譜の出発点に名を刻んでいる。
小島茂男【戦前のレギュラー】
1911年生/ドラフト制度前(1936年入団)
右投右打/内野手/プロ通算約2年
背番号1の期間:3年(1936〜1938)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 120 | 88 | .221 | 1 | 46 | 6 |
※1936〜1938年のNPB通算成績。
丹羽に続いて背番号1を引き継いだ内野手。東海中から関西大を経て入団し、1936年秋から1938年春までプレーした。弟は、のちに西日本パイレーツで選手兼任監督を務めた小島利男で、兄弟そろってプロの世界に身を置いた一家だった。
戒能朶一【「1番・二塁手」】
1916年生/ドラフト制度前(1938年入団)
右投右打/内野手/プロ通算約2年
背番号1の期間:3年(1938〜1940)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 45 | 31 | .187 | 0 | 12 | 6 |
※1938年秋に40試合へ全出場、1939年は5試合。上記は通算成績。
広島・広陵中から明治大に進み(中退)、入団した内野手。1938年秋には「1番・二塁手」としてレギュラーを張った。広陵中時代には1935年春の甲子園で準優勝を果たし、優秀選手賞も受賞している。しかし出征のため野球を続けられず、応召後に戦死。プロでの実働はわずか1〜2年と短く、時代に翻弄された選手のひとりだった。
大沢紀三男【野球一族の一人】
1926年2月11日生/ドラフト制度前
右投右打/投手・外野手/公式出場2年
背番号1の期間:2年(1947〜1948)
通算成績
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 13 | 1 | 1 | 3.35 | 16 | 0 |
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 40 | 6 | .107 | 0 | 1 | 0 |
藤沢商出身で、投手と外野手を兼ねた選手(本名・大沢君夫)。ドラフト制度のない時代に入団し、NPB公式に残る出場記録は1944年と1948年の2シーズンとなっている。兄は大沢清、弟は監督としても知られる大沢啓二(“親分”)という、プロ野球選手を多く輩出した一族の一人でもあった。
坪内道典【史上初の1000安打/殿堂入り】
1914年4月7日生/ドラフト制度前(1936年入団)
右投右打/外野手/プロ通算16年
背番号1の期間:3年(1949〜1951)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1417 | 1472 | .262 | 34 | 462 | 344 |
主なタイトル:盗塁王2回(1941・1942年)
松山商・天王寺商を経て立教大に進み、1936年に大東京軍へ入団した外野手。中日では1949年から3年間、背番号1を着けた。1936年から1951年まで16年にわたって現役を続け、プロ野球史上初の1000試合出場、史上初の1000安打という金字塔を打ち立てた草創期のスター選手だ。引退後は中日の監督(1952〜53年)も務め、のちに野球殿堂入りも果たしている。背番号1の歴代でも屈指の実績を誇る名選手だった。
牧野茂【巨人V9の名参謀/殿堂入り】
1928年7月26日生/ドラフト制度前(1952年入団)
右投右打/内野手/プロ通算8年
背番号1の期間:6年(1953〜1958)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 756 | 445 | .217 | 9 | 134 | 98 |
高松商・愛知商から明治大に進んだ内野手。1952年から1959年まで中日でプレーし、うち1953年から背番号1を着用した。現役での目立ったタイトルはないが、1954年の球団初のリーグ優勝・初の日本一に貢献。むしろ名を残したのは引退後で、巨人のヘッドコーチとしてV9を支えた“名参謀”として知られる。理論派指導者の草分け的存在で、1991年に野球殿堂入りを果たした。
昭和の主軸(1950〜80年代)の系譜
本多逸郎【盗塁王】
1931年5月3日生/ドラフト制度前(1950年入団)
左投左打/外野手・投手/プロ通算14年
背番号1の期間:2年(1959〜1960)
通算成績
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 1053 | 766 | .241 | 15 | 201 | 170 |
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 22 | 0 | 0 | 5.89 | 22 | 0 |
※入団当初は投手で、のちに外野手へ転向した。
主なタイトル:盗塁王1回(1955年・42盗塁)
犬山高出身で、入団テストを経て1950年に投手として中日入りした変わり種。だが俊足と左打ちの打撃を見込まれて外野手に転向すると、これが大当たりした。1954年の球団初優勝・初日本一にも一番打者として貢献し、1955年には42盗塁で盗塁王を獲得。1950年から1965年まで実働14年と長く活躍した、俊足巧打の外野手だった。
濃人 渉【唯一、監督として着用】
1915年3月22日生/ドラフト制度前(選手は1936年入団)
右投右打/内野手(中日では監督)/選手通算8年
背番号1の期間:2年(1961〜1962・監督として)
通算成績
| 〈選手時代の打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 571 | 436 | .212 | 11 | 163 | 73 |
※成績は金鯱・大洋・西鉄・金星時代のもの。中日では選手としての出場はない。
歴代17人のなかで、ただ一人“選手ではなく監督として”背番号1を着けたのが濃人 渉(のうにん・わたる、別表記で濃人貴実)だ。NPB公式の表記は「濃人 渉」となっている。選手としては広陵中・専売広島を経て各球団を渡り歩いた内野手で、中日では1961〜62年に監督として番号を背負った。プレーヤーが受け継いできた番号を指揮官が着けたという点で、この系譜のなかでも異色の存在といえる。
高木守道【球団史を代表する名二塁手/殿堂入り】
1941年7月17日生/ドラフト制度前(1960年入団)
右投右打/内野手(二塁手)/プロ通算21年
背番号1の期間:20年(1963〜1982)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2282 | 2274 | .272 | 236 | 813 | 369 |
主なタイトル・表彰:盗塁王3回/ベストナイン7回(1963〜67・74・77年)/ダイヤモンドグラブ賞3回(1974・77・79年)
背番号1の系譜を語るうえで欠かせないのが、高木守道だ。県立岐阜商から1960年に入団し、ドラフト制度のない時代に中日一筋でプレー。1963年から長く背番号1を背負い続けた、まさに球団の象徴的存在である。プロ通算は1960年から1980年までの21年。通算2274安打は球団を代表する打撃記録であり、1978年には通算2000安打も達成した。守っては“バックトス”を武器にした華麗な二塁守備で知られ、攻走守すべてで一級品の働きを見せた。
ベストナインは二塁手部門で実に7回。これは2リーグ制以降の二塁手では最多タイの回数で、1963年から1967年までの5年連続受賞という記録も持つ。守備の名手に贈られるダイヤモンドグラブ賞も3回受賞した。引退後は中日の監督も務め、2008年には野球殿堂入り。背番号1の歴代17人のなかでも、間違いなく最大のレジェンドである。
1980〜2000年代の系譜
藤王康晴【鳴り物入りのドラ1】
1965年4月13日生/1983年ドラフト1位
右投左打/内野手/プロ通算9年
背番号1の期間:4年(1984〜1987)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 237 | 92 | .220 | 10 | 37 | 1 |
享栄高から1983年のドラフト1位で入団した大型内野手。地元・愛知出身として大きな期待を集めたが、一軍に定着し切れず、通算では237試合の出場にとどまった。1990年から日本ハムへ移籍し、1992年限りで現役を終えている。期待の大きさゆえに評価の難しい選手だったが、ドラフト1位で背番号1を託された存在として系譜に名を残す。
近藤 真市【デビュー戦ノーヒットノーラン】
1968年9月8日生/1986年ドラフト1位
左投左打/投手/プロ通算6年
背番号1の期間:4年(1988〜1991)
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 52 | 12 | 17 | 3.90 | 157 | 0 |
享栄高から1986年のドラフト1位で入団した左腕(別表記で近藤真一、NPB公式の表記は「近藤 真市」)。彼の名を球史に刻んだのは、なんといってもデビュー戦だ。1987年8月9日、プロ初登板初先発のマウンドでいきなり巨人を相手にノーヒットノーランを達成。高卒新人によるノーヒットノーランはプロ野球史上初の快挙で、いまも語り継がれる伝説的な一戦となった。その後は故障などもあって白星を伸ばせず通算12勝に終わったが、あの“デビュー戦の衝撃”だけで歴代背番号1のなかでも屈指のトピックを持つ投手である。
種田仁【ガニ股打法】
1971年7月18日生/1989年ドラフト6位
右投右打/内野手/プロ通算18年
背番号1の期間:6年(1992〜1997)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1434 | 1102 | .264 | 71 | 401 | 76 |
主なタイトル:カムバック賞1回(2000年)
上宮高から1989年のドラフト6位で入団した内野手。腰を大きく落とした独特の“ガニ股打法”で、一度見たら忘れられない構えのバッターだった。中日では背番号1を着けて主力としてプレーし、のちに横浜へ移籍。2000年にはカムバック賞を受賞するなど息の長い活躍を見せた。1990年から2007年まで18年という長いキャリアを送った、いぶし銀の内野手だった。
福留孝介【首位打者2回・日米で活躍】
1977年4月26日生/1998年ドラフト1位(逆指名)
右投左打/外野手/日米通算24年
背番号1の期間:9年(1999〜2007)
通算成績
| 区分 | 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB(19年) | 2023 | 1952 | .286 | 285 | 1078 | 76 |
| MLB(5年) | 596 | 498 | .258 | 42 | 195 | 29 |
| 日米通算(24年) | 2619 | 2450 | .280 | 327 | 1273 | 105 |
主なタイトル・表彰:首位打者2回(2002・06年)/最高出塁率3回(2003・05・06年)/MVP1回(2006年)/ベストナイン4回/ゴールデングラブ賞5回
背番号1の系譜のなかで、高木守道と並ぶもう一人の主役が福留孝介だ。鹿児島県大崎町の出身で、PL学園高から日本生命を経て、1998年のドラフト1位で中日へ入団。背番号1を着けて1年目から開幕スタメンに名を連ね、いきなりリーグ優勝に貢献した。中日時代は打撃を磨き上げ、首位打者を2回、最高出塁率を3回獲得し、2006年にはリーグMVPにも輝いた、球団を代表するスラッガーである。
2008年からはメジャーリーグに挑戦し、カブス・インディアンス・ホワイトソックスでプレー。2013年に阪神で日本球界へ復帰し、2021年には14年ぶりに中日へ戻ってきた。2022年限りで引退するまで、日米通算24年・2450安打を積み上げた。アトランタ五輪の銀メダル、アテネ五輪の銅メダル、2006年WBC優勝メンバーと、国際舞台でも勝負強さを発揮。歴代背番号1のなかで、最もスケールの大きいキャリアを歩んだ選手のひとりだ。
2010年代以降の系譜
堂上直倫【地元出身の内野手】
1988年9月23日生/2006年高校生ドラフト1巡目
右投右打/内野手/プロ通算16年
背番号1の期間:7年(2008〜2014)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1012 | 476 | .225 | 34 | 209 | 6 |
愛工大名電高から2006年の高校生ドラフト1巡目で入団した、地元・愛知出身の内野手。福留が去ったあとの背番号1を受け継いだ。高い守備力を評価され、長く中日一筋でプレー。レギュラー定着には苦労したが、勝負強い打撃で要所を締めた。兄の堂上剛裕も中日でプレーしており、兄弟そろってドラゴンズに在籍したことでも知られる。通算は2008年から2023年までの16年に及んだ。
友永翔太【社会人経由の外野手】
1991年4月1日生/2014年ドラフト3位
右投左打/外野手/プロ通算5年
背番号1の期間:4年(2015〜2018)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 34 | 7 | .135 | 0 | 2 | 2 |
東海大相模高・国際武道大から日本通運を経て、2014年のドラフト3位で入団した外野手。社会人で実績を積んでのプロ入りだった。背番号1を着けたものの一軍では出場機会が限られ、2019年までプレーした。背番号1の重みを背負った社会人出身の苦労人として、系譜に名を連ねている。
京田陽太【新人王/現役】
1994年4月20日生/2016年ドラフト2位
右投左打/内野手(遊撃手)/2017年〜現役
背番号1の期間:4年(2019〜2022)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 979 | 799 | .243 | 25 | 231 | 82 |
※中日・横浜DeNA両球団の合計。現役のため記録は更新中。
主なタイトル:最優秀新人(新人王)2017年
青森山田高から日本大に進み、2016年のドラフト2位で入団した内野手。1年目からショートのレギュラーをつかみ、2017年には新人王(最優秀新人)を受賞した。広い守備範囲を誇る遊撃手として鳴らしたが、現場での評価の高さとは裏腹に、ゴールデングラブ賞には縁がなく“無冠の名手”としても知られた。2023年からは横浜DeNAへ移籍し、現在も現役としてプレーを続けている。
岡林勇希【現在の背番号1】
2002年2月22日生/2019年ドラフト5位
右投左打/外野手/2020年〜現役
背番号1の期間:3年目(2024年〜現在)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 581 | 618 | .280 | 8 | 114 | 65 |
※成績は2025年シーズン終了時点。現役のため記録は更新中。
主なタイトル・表彰:最多安打2回(2022・25年)/ベストナイン3回(2022・23・25年)/ゴールデングラブ賞4回(2022〜25年)
そして、いまこの背番号1を背負うのが岡林勇希だ。菰野高から2019年のドラフト5位で入団した外野手で、走攻守そろった“ドラゴンズの核弾頭”として一気にチームの顔へと駆け上がった。2024年に背番号1を継承し、現在もこの番号を背負って現役を続けている。最多安打2回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞4回と、若くして攻守両面で評価を集める存在だ。ドラフト5位という指名順位から這い上がり、いまや球団を代表する選手のひとりに。背番号1の長い系譜の“現在地”として、これからどんな歴史を積み上げていくのか注目したい。
歴代背番号1 全員の通算成績(フルキャリア合計)
歴代17人の通算成績を、それぞれの“フルキャリア”でまるごと合算してみた(MLB・移籍先の球団もすべて含む)。打者としての打撃成績と、投手を兼ねた選手の投手成績に分けて掲載する。
打撃成績(17人合計)
| 項目 | 全17選手の合計 |
|---|---|
| 試合数 | 13,233 |
| 安打 | 11,073 |
| 打率 | .258 |
| 本塁打 | 781 |
| 打点 | 4,103 |
| 盗塁 | 1,403 |
※福留孝介は日米通算(MLB含む)、その他の選手は各人のプロ通算(中日以外の所属球団もすべて含む合計)。現役の京田陽太・岡林勇希は記録更新中で、岡林は2025年シーズン終了時点の数値。打率は単純平均ではなく「総安打÷総打数」で算出。
投手成績(背番号1の投手陣合計)
| 項目 | 投手陣の合計 |
|---|---|
| 登板 | 87 |
| 勝利 | 13 |
| 敗北 | 18 |
| セーブ | 0 |
| 奪三振 | 195 |
| 投球回 | 314.1 |
| 防御率 | 4.18 |
※投手として登板した大沢紀三男・近藤真市・本多逸郎の3人の合計(初代・丹羽淑雄は投手登録だが公式戦登板なし)。防御率は通算自責点146×9÷通算投球回314.1回で算出。
背番号1だけで通算1万安打超え——歴代の名前を並べると、その重みがあらためて伝わってくる。
まとめ
初代の丹羽淑雄から現在の岡林勇希まで、中日ドラゴンズの背番号1を背負ったのはわずか17人。坪内道典や高木守道、牧野茂といった殿堂入り級のレジェンドがいる一方で、デビュー戦でノーヒットノーランを演じた近藤真市のような“一瞬の伝説”を残した選手や、監督として番号を着けた濃人 渉のような異色の存在もいる。日米で活躍した福留孝介を経て、いまは岡林勇希がその系譜を受け継いでいる。
背番号「1」の重みは、球団の90年の歴史そのもの。これからこの番号を受け継ぐのが誰になるのか——歴代の名前を振り返ると、その期待はいっそう大きくなる。


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