中日ドラゴンズの背番号「2」は、球団創設期の1936年から現在まで、20人以上の選手が受け継いできた番号である。歴代の着用者は内野手が中心で、近年は荒木雅博がこの番号を23年もの長きにわたって背負い、すっかり定着させた。ここでは、背番号2を着けた歴代の選手たちを、時代を追って振り返る。
歴代 背番号「2」一覧
| 選手名 | 着用期間 | ポジション | ひとこと |
|---|---|---|---|
| 牧野潔 | 1936 | 投手 | 背番号2、最初の着用者 |
| 志手清彦 | 1937 | 外野手 | 阪急から来た外野手 |
| 石丸藤吉 | 1938 | 内野手 | 立教大出の内野手 |
| 鈴木秀雄 | 1939・1946 | 外野手 | スイッチヒッターの俊足 |
| 高木茂 | 1939〜1940 | 外野手 | 戦前と戦後をまたいだ外野手 |
| 山下実 | 1942 | 内野手 | 元・阪急の主砲/殿堂入り |
| 水野良一 | 1947〜1948 | 外野手 | 慶大出の地元出身 |
| 土屋亨 | 1950〜1955 | 内野手 | 1950年代を支えた内野手 |
| 川崎啓之介 | 1956 | 内野手 | 明大出の内野手 |
| 早川真次 | 1957 | 内野手 | 岡崎高出身の内野手 |
| 原田享 | 1958〜1960 | 内野手・投手 | 投打を兼ねた選手 |
| 前田益穂 | 1961〜1963 | 内野手 | 1200安打の内野手 |
| 今津光男 | 1964 | 内野手 | 三球団でプレーした内野手 |
| 一枝修平 | 1965〜1971 | 内野手 | 7年着けた中堅内野手 |
| バート | 1972 | 内野手 | 51打点を挙げた助っ人内野手 |
| 広瀬宰 | 1973〜1975 | 内野手 | 複数球団を渡った内野手 |
| 田尾安志 | 1976〜1984 | 外野手 | 看板を背負った安打製造機 |
| 尾上旭 | 1985〜1987 | 内野手 | ドラ1のユーティリティ内野手 |
| 岩本好広 | 1988〜1989 | 内野手 | 俊足の代走・守備要員 |
| バンスロー | 1990 | 内野手 | 1年で29本塁打の助っ人 |
| 矢野輝弘 | 1991〜1995 | 捕手 | 移籍後に花開いた捕手 |
| 荒木雅博 | 1996〜2018 | 内野手 | 背番号2を象徴する名二塁手 |
| 石川昂弥 | 2020〜2022 | 内野手 | ドラ1入団の和製大砲 |
| 田中幹也 | 2023〜現在 | 内野手 | 守備が光る二塁手 |
戦前〜戦後初期(名古屋軍・中部日本時代)
名古屋軍が誕生した1936年、背番号2を最初に着けたのは投手の牧野潔だった。以後、戦争をはさんだ激動の十数年で、この番号は外野手・内野手の間を目まぐるしく移っていく。短い在籍の選手が多い一方、元・阪急の主砲がキャリアの最後にこの番号をまとった年もあった。
牧野潔【背番号2、最初の着用者】
1917年11月15日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 投手 / プロ通算1年
背番号2の期間:1年(1936)
通算成績
| 登板 | 勝 | 敗 | セーブ | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 9 | 1 | 3 | 0 | 21 2/3 | 3 | 11.45 |
名古屋軍の創設初年度に登板した右腕。背番号2を最初に背負った選手として記録に残る。在籍は1936年の1年のみだった。
志手清彦【阪急から来た外野手】
1916年8月20日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 外野手 / プロ通算2年
背番号2の期間:1年(1937)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 53 | 156 | 33 | 0 | 6 | 2 | .212 |
1936年秋に阪急でデビューし、翌1937年に名古屋へ移って背番号2を着けた外野手。名古屋では1年だけのプレーにとどまった。
石丸藤吉【立教大出の内野手】
1914年7月25日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算7年
背番号2の期間:1年(1938)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 326 | 1222 | 226 | 1 | 48 | 33 | .185 |
佐賀商から立教大を経て入団した内野手。1937年から名古屋でプレーし、背番号2は1938年に着用。出場を一度離れたのち1941〜43年に再び主力を張り、戦後の1951年には松竹で1試合出場した。
鈴木秀雄【スイッチヒッターの俊足】
1918年10月9日生まれ / ドラフト:―
右投両打 / 外野手 / プロ通算9年
背番号2の期間:2年(1939・1946)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 393 | 1067 | 193 | 6 | 74 | 60 | .181 |
名古屋軍の創設メンバーで、左右両打席に立つ俊足の外野手。通算60盗塁を記録した。複数球団を渡り歩き、戦後の1946年に中部日本へ戻って再び背番号2を着けた。
高木茂【戦前と戦後をまたいだ外野手】
1916年3月10日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 外野手 / プロ通算6年
背番号2の期間:2年(1939〜1940)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 165 | 390 | 76 | 2 | 29 | 14 | .195 |
1937年に名古屋でデビューし、1939〜40年に背番号2を着けた外野手。1939年は鈴木秀雄と背番号2を分け合うかたちになった。10年ほどのブランクを経て、1950〜51年には広島でプレーしている。
山下実【元・阪急の主砲/殿堂入り】
1907年3月20日生まれ / ドラフト:―
左投左打 / 内野手(一塁) / プロ通算6年
背番号2の期間:1年(1942)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 239 | 798 | 208 | 19 | 142 | 20 | .261 |
主なタイトル:本塁打王1回(1936年秋)
慶応大出の強打者で、1936年に阪急へ入団すると初年度に打率3割9分をマークするなど、黎明期のスター選手として鳴らした。現役晩年の1942年に名古屋へ移り、この1年だけ背番号2を着けた。通算19本塁打・142打点はこの区分では群を抜く数字で、のちに野球殿堂入りも果たした名選手である。
水野良一【慶大出の地元出身】
1917年12月23日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 外野手 / プロ通算2年
背番号2の期間:2年(1947〜1948)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 73 | 124 | 27 | 0 | 6 | 3 | .218 |
愛知商から慶応大へ進み、中部日本新聞を経て入団した地元出身の外野手。中日が現球団名になった前後の1947〜48年に背番号2を着けた。
昭和の主軸(1950〜80年代)
2リーグ制が始まった1950年代以降、背番号2は内野の主力が受け継ぐ番号になっていく。短期間の選手も多いが、複数年にわたってレギュラーを張った選手も現れ、やがて球団を代表する外野手がこの番号を長く背負う時代へと続いていく。
土屋亨【1950年代を支えた内野手】
1923年10月6日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算8年
背番号2の期間:6年(1950〜1955)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 484 | 1194 | 267 | 13 | 108 | 23 | .224 |
明治大を経て1948年に南海でデビューし、翌年から中日でプレーした内野手。1950年から6年にわたって背番号2を着け、この番号を初めて長期間定着させた選手といえる。1951年には打率.279・85安打と好成績を残した。
川崎啓之介【明大出の内野手】
1934年8月5日生まれ / ドラフト:―
左投左打 / 内野手 / プロ通算5年
背番号2の期間:1年(1956)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 251 | 419 | 88 | 4 | 36 | 4 | .210 |
新宮高から明治大に進んだ左打の内野手。1955年に入団し、背番号2を着けた1956年には打率.282をマークした。中日一筋で5年間プレーした。
早川真次【岡崎高出身の内野手】
1935年3月15日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算5年
背番号2の期間:1年(1957)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 49 | 56 | 7 | 1 | 2 | 2 | .125 |
地元・岡崎高出身の内野手。1953年に入団し、背番号2は1957年に着けた。出場機会は多くなかったが、地元出身選手として在籍した。
原田享【投打を兼ねた選手】
1934年9月27日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手・投手 / プロ通算3年
背番号2の期間:3年(1958〜1960)
通算成績
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 |
| 31 | 41 | 7 | 1 | 2 | .171 |
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝 | 敗 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
| 2 | 0 | 0 | 3 1/3 | 4 | 4.50 |
関西大出の選手で、野手として打席に立つ一方、1960年にはマウンドにも上がった二刀流。背番号2は1958年から3年間着けた。
前田益穂【1200安打の内野手】
1939年5月24日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算17年
背番号2の期間:3年(1961〜1963)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1799 | 4835 | 1205 | 117 | 492 | 106 | .249 |
熊本工出身の内野手。1959年に中日でデビューし、1961〜63年に背番号2を着けた。中日では1962年に打率.284・133安打・13本塁打と存在感を示し、移籍後の東京(のちのロッテ)でも長く主力を務め、通算1205安打・117本塁打を積み上げた。引退後はロッテの監督も務めている。
今津光男【三球団でプレーした内野手】
1938年7月8日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算18年
背番号2の期間:1年(1964)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1389 | 2776 | 544 | 18 | 157 | 114 | .196 |
尼崎高出身の内野手。1958年に中日でデビューし、背番号2は1964年に着けた。のちに広島・阪急でもプレーし、18年にわたって現役を続けた息の長い選手である。
一枝修平【7年着けた中堅内野手】
1940年7月24日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算11年
背番号2の期間:7年(1965〜1971)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1033 | 3136 | 766 | 52 | 255 | 30 | .244 |
明治大から河合楽器を経て入団した内野手。1965年から7年連続で背番号2を着け、この番号を長く定着させた一人である。1966年に100安打、1968年には打率.272・118安打・13本塁打と安定した打撃を残した。のちに近鉄・阪神でもプレーし、引退後は長く指導者を務めた。
バート【51打点を挙げた助っ人内野手】
1940年1月4日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算2年
背番号2の期間:1年(1972)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 246 | 747 | 137 | 15 | 79 | 4 | .183 |
テキサス大からドジャースなどでプレーした外国人選手。1971年に入団し、背番号2を着けた1972年には12本塁打・51打点を記録した。在籍は2年だった。
広瀬宰【複数球団を渡った内野手】
1947年2月20日生まれ / 1968年ドラフト2位
右投右打 / 内野手 / プロ通算13年
背番号2の期間:3年(1973〜1975)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1090 | 2519 | 564 | 35 | 194 | 31 | .224 |
東京農業大からドラフト2位でロッテに入団し、移籍した中日で1973〜75年に背番号2を着けた内野手。中日では1974年に125試合・61安打と出場を重ねた。その後も太平洋・クラウン・西武でプレーし、4球団で通算1090試合に出場した。
田尾安志【看板を背負った安打製造機】
1954年1月8日生まれ / 1975年ドラフト1位
左投左打 / 外野手 / プロ通算16年
背番号2の期間:9年(1976〜1984)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1683 | 5414 | 1560 | 149 | 574 | 58 | .288 |
主なタイトル・表彰:新人王(1976年)/最多安打3回(1982〜1984年)/最多出塁数1回(1982年)/ベストナイン3回(1981〜1983年)
同志社大からドラフト1位で入団し、1976〜84年の9年間にわたって背番号2を着け続けた、この番号を象徴する打者。荒木雅博が現れるまでは、背番号2の最長着用者だった。
1年目から打率.277をマークすると、年を追うごとに打撃を向上させ、1980年に打率.299・141安打、1981年に.303・140安打。そして1982年には打率.350・174安打という球団屈指のハイアベレージを残した。続く1983年.318・161安打、1984年.310・166安打・20本塁打と、3年連続で160安打以上を積み上げている。中日では9年連続で背番号2を背負い、チームの顔として打線を引っ張った。
1985年に西武、1987年に阪神へ移籍し、通算1560安打・149本塁打・打率.288を記録。広い守備範囲と勝負強い打撃で知られた。引退後は解説者を経て、楽天の初代監督を務めたことでも知られる。
尾上旭【ドラ1のユーティリティ内野手】
1959年4月22日生まれ / 1981年ドラフト1位
右投右打 / 内野手 / プロ通算9年
背番号2の期間:3年(1985〜1987)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 362 | 377 | 77 | 5 | 33 | 10 | .204 |
中央大からドラフト1位で入団した内野手。遊撃・二塁・三塁をこなすユーティリティプレーヤーで、1985〜87年に背番号2を着けた。1986年には29試合に先発出場している。1987年限りで近鉄へ移籍した。
岩本好広【俊足の代走・守備要員】
1959年7月23日生まれ / 1981年ドラフト5位
右投右打 / 内野手 / プロ通算9年
背番号2の期間:2年(1988〜1989)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 393 | 352 | 82 | 9 | 35 | 63 | .233 |
半田農から東海理化を経て阪急に入団し、1987年に地元・中日へ移籍した内野手。中日では1988〜89年に背番号2を着けた。打数の少なさに対して得点・盗塁が多く、代走や守備固めとして起用されたことがうかがえる。半田市の出身で、引退後は地元で歩んだことでも知られる。
平成〜現在(1990年代以降)
1990年代以降の背番号2は、外国人選手や捕手も一時着けたのち、荒木雅博がこの番号を23年という長きにわたって背負い、すっかり定着させた。荒木の引退後は、ドラフト上位で入団した若手内野手へと受け継がれている。
バンスロー【1年で29本塁打の助っ人】
1956年10月1日生まれ / ドラフト:―
右投右打 / 内野手 / プロ通算1年
背番号2の期間:1年(1990)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 122 | 457 | 143 | 29 | 78 | 2 | .313 |
メジャーリーグでプレーした実績を引っさげて1990年に入団した外国人内野手。背番号2を着けたこの年だけで打率.313・29本塁打・78打点と、助っ人として十分な成績を残した。在籍は1年のみだった。父も元メジャーリーガーの野球一家の出身である。
矢野輝弘【移籍後に花開いた捕手】
1968年12月6日生まれ / 1990年ドラフト2位
右投右打 / 捕手 / プロ通算20年
背番号2の期間:5年(1991〜1995)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1669 | 4921 | 1347 | 112 | 570 | 16 | .274 |
主なタイトル・表彰:ベストナイン3回(2003・2005・2006年)/ゴールデングラブ賞2回(2003・2005年)
東北福祉大からドラフト2位で入団した捕手で、中日では1991〜95年に背番号2を着けた。当時は控え捕手の立場で、1996年には56試合で打率.346・7本塁打と力を見せたものの、出場機会は限られていた。なお、現在の登録名は「矢野燿大」で、中日時代は「矢野輝弘」として知られた。
1998年に阪神へ移籍すると正捕手として一気に開花し、2003年には打率.328・14本塁打・79打点をマークするなど、リーグを代表する捕手へと成長した。通算1347安打・112本塁打を記録し、引退後は阪神の監督も務めている。
荒木雅博【背番号2を象徴する名二塁手】
1977年9月13日生まれ / 1995年ドラフト1位
右投右打 / 内野手 / プロ通算22年
背番号2の期間:23年(1996〜2018)
通算成績
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2220 | 7639 | 2045 | 34 | 468 | 378 | .268 |
主なタイトル・表彰:盗塁王1回(2007年)/ベストナイン3回(2004〜2006年)/ゴールデングラブ賞6回(2004〜2009年)
熊本工からドラフト1位で入団し、1996年から2018年までの23年間、背番号2を着け続けた。これは歴代の背番号2着用者の中で最も長く、まさにこの番号を象徴する選手である。
1軍に定着したのは2001年で、この年いきなり打率.338をマーク。以降は俊足を生かした切り込み隊長として活躍し、2004年に176安打・39盗塁、2005年には181安打・42盗塁と、安打・盗塁の両面でリーグ屈指の成績を残した。30盗塁前後を毎年のように積み重ね、二塁の守備でも球界トップクラスの評価を受けた。井端弘和との二遊間コンビは「アライバ」と呼ばれ、強い中日を支えた。
通算では2220試合に出場し、2045安打・378盗塁。2000本安打を達成して名球会入りも果たした。オールスターゲームでのMVPやオリンピック代表入りなどでも知られる、平成のドラゴンズを代表する選手である。引退後は中日でコーチを務めた。
石川昂弥【ドラ1入団の和製大砲】
2001年6月22日生まれ / 2019年ドラフト1位
右投右打 / 内野手 / プロ通算6年
背番号2の期間:3年(2020〜2022)
通算成績(2025年シーズン終了時)
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 276 | 925 | 221 | 23 | 95 | 0 | .239 |
東邦高からドラフト1位で入団した三塁手で、入団した2020年から2022年まで背番号2を着けた。荒木雅博の引退後に、この番号を引き継いだ若手である。2021年は故障の影響で1軍出場がなく、2023年からは背番号を25に変更している。背番号変更後の2023年には13本塁打・45打点を記録した。長打力が持ち味の右の大砲タイプである。
田中幹也【守備が光る二塁手】
2000年11月28日生まれ / 2022年ドラフト6位
右投右打 / 内野手 / プロ通算3年
背番号2の期間:4年目(2023〜現在)
通算成績(2025年シーズン終了時)
| 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 207 | 628 | 155 | 3 | 44 | 17 | .247 |
亜細亜大からドラフト6位で入団し、2023年から背番号2を着けている二塁手。1軍デビューは2024年で、いきなり112試合に出場した。二塁の軽快な守備が持ち味で、2025年には95試合で打率.270をマークしている。荒木雅博・石川昂弥に続いて、現在この背番号を背負う選手である。
全員の通算成績(フルキャリア合計)
背番号2を着けた歴代選手の、プロ通算成績(中日以外の所属球団も含むフルキャリア)の合計をまとめた。打率は各選手の平均ではなく、総安打を総打数で割って算出している。
打撃成績(24人合計)
| 試合数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|
| 14,563 | 9,980 | 648 | 3,530 | 993 | .248 |
投手成績(投手陣合計)
| 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 奪三振 | 投球回 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 11 | 1 | 3 | 0 | 7 | 25 | 10.80 |
※打撃合計は各人のプロ通算(中日以外の所属球団もすべて含む合計)。現役の石川昂弥・田中幹也は2025年シーズン終了時の数字。打率は単純平均ではなく「総安打÷総打数」で算出。投手成績は登板のあった牧野潔・原田享の2名のみを集計した(他の選手は公式戦登板なし)。
まとめ
中日ドラゴンズの背番号2は、創設期から現在まで内野手を中心に受け継がれてきた番号である。戦前は外国人やベテランも着けたが、昭和から平成にかけては二塁手・遊撃手といった内野の守備の要が背負うことが多かった。
打撃で記憶に残るのは、1976年から9年間着け続け、首位打者級の打率と安打を量産した田尾安志。そして何より、1996年から2018年までの23年間という歴代最長でこの番号を背負い、通算2000安打・378盗塁を記録した荒木雅博が、背番号2を象徴する存在である。
荒木の引退後は石川昂弥が受け継ぎ、現在は田中幹也が着けている。守備に定評のある若手内野手へと、この番号の系譜は続いている。



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