中日 (予)柳裕也 18:00 阪神 (予)伊藤将司

背番号「4」の系譜

背番号の系譜

背番号「4」は、中日ドラゴンズではどちらかといえば助っ人内野手・外野手が代々受け継いできた番号だ。球団創設まもない1937年の前田喜代士から、いまグラウンドに立つカリステまで、一軍でこの番号を背負ったのは29人。本塁打王と打点王に輝いた杉山悟、20年ぶりの優勝を呼び込んだ主砲マーチン、ナゴヤドーム時代の4番ゴメス、史上唯一の日米サイクル安打を放ったアレックス——パンチ力のある打者がよく似合う番号でもある。本記事では、歴代の在籍期間・通算成績・獲得タイトルを、ひとりずつ丁寧に辿っていく。

  1. 中日ドラゴンズ 歴代背番号4 一覧
  2. 戦前〜1950年代の系譜
    1. 前田喜代士【球団史上初本塁打】
    2. 大沢清【大沢三兄弟の長兄】
    3. 杉山悟【本塁打王&打点王の主砲】
    4. 酒井敏明【守備の捕手】
  3. 1960年代の系譜
    1. 今津光男【息の長い内野手】
    2. 山本久夫【控えの内野手】
    3. アスプロ(KEN ASPROMONTE)【初期の助っ人内野手】
    4. ワード(JAY WARD)【1年限りの助っ人】
    5. 浜中祥和【翌年からコーチに】
    6. フォックス(STEVE FOX)【短期の助っ人】
  4. 1970〜80年代の系譜(助っ人ラッシュ)
    1. ミラー(JOHN MILLER)【3年連続20本超】
    2. テーラー(BOBBY TAYLOR)【1年だけの助っ人】
    3. マーチン(GENE MARTIN)【20年ぶり優勝の主砲】
    4. ジョーンズ(BOBBY JONES)【中軸を担った助っ人】
    5. コージ(RAY COSEY)【1年限りの外野手】
    6. モッカ(KEN MACHA)【助っ人初の通算3割】
    7. ゲーリー(GARY RAJSICH)【一塁の長距離砲】
  5. 1990年代の系譜
    1. 清水雅治【俊足の守備固め】
    2. 岩本好広【最終年に着用】
    3. 長嶋清幸【元祖「背番号0」】
    4. 佐野心【社会人出身の外野手】
    5. コールズ(DARNELL COLES)【1番打者で打率.302】
    6. ゴメス(LEO GOMEZ)【最強助っ人の呼び声】
  6. 2000年代以降の系譜
    1. 酒井忠晴【守備の名手】
    2. アレックス(ALEX OCHOA)【日米でサイクル安打】
    3. バレンタイン(JOE VALENTINE)【公式戦登板なし】
    4. 藤井淳志【背番号4の最長着用】
    5. 鵜飼航丞【規格外のパワー】
    6. カリステ(ORLANDO CALIXTE)【現在の背番号4】
  7. 歴代背番号4 全員の通算成績(フルキャリア合計)
    1. 打撃成績(28人合計)
    2. 投手成績(投手陣合計)
  8. まとめ

中日ドラゴンズ 歴代背番号4 一覧

選手名背番号4の期間ポジションひとこと
1前田喜代士1年(1937)外野手球団史上初本塁打
2大沢清7年(1938〜1948)内野手・投手大沢三兄弟の長兄
3杉山悟6年(1951〜1956)外野手本塁打王&打点王の主砲
4酒井敏明4年(1957〜1961)捕手守備の捕手
5今津光男2年(1962〜1963)内野手息の長い内野手
6山本久夫1年(1964)内野手控えの内野手
7アスプロ2年(1964〜1965)内野手初期の助っ人内野手
8ワード1年(1966)内野手1年限りの助っ人
9浜中祥和1年(1967)内野手翌年からコーチに
10フォックス1年(1969)内野手短期の助っ人
11ミラー3年(1970〜1972)内野手3年連続20本超
12テーラー1年(1973)外野手1年だけの助っ人
13マーチン5年(1974〜1978)外野手20年ぶり優勝の主砲
14ジョーンズ2年(1979〜1980)外野手中軸を担った助っ人
15コージ1年(1981)外野手1年限りの外野手
16モッカ4年(1982〜1985)内野手助っ人初の通算3割
17ゲーリー3年(1986〜1988)内野手一塁の長距離砲
18清水雅治2年(1989・1995)内野手・外野手俊足の守備固め
19岩本好広1年(1990)内野手最終年に着用
20長嶋清幸1年(1991)外野手元祖「背番号0」
21佐野心3年(1992〜1994)外野手社会人出身の外野手
22コールズ1年(1996)内野手1番打者で打率.302
23ゴメス6年(1997〜2002)内野手最強助っ人の呼び声
24酒井忠晴1年(2003)内野手守備の名手
25アレックス3年(2004〜2006)外野手日米でサイクル安打
26バレンタイン1年(2007)投手公式戦登板なし
27藤井淳志14年(2008〜2021)外野手背番号4の最長着用
28鵜飼航丞3年(2022〜2024)外野手規格外のパワー
29カリステ2年目(2025〜現在)内野手現在の背番号4

※筒井壮は発表時に背番号4を着ける予定だったが、一軍では着用しなかったため一覧から外している(詳細はゴメスの項)。

戦前〜1950年代の系譜

前田喜代士【球団史上初本塁打】

1912年4月20日生/ドラフト制度前(1937年入団)

右投右打/外野手/プロ通算2年

背番号4の期間:1年(1937)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
8563.2053314

背番号4の初代は、外野手の前田喜代士。名古屋軍(現・中日)の一員として、球団史上初の本塁打を放った打者として記録に名を残す。だが、まもなく戦地へ赴き、現役選手として初の戦死者となった。プロでの在籍はわずか2年と短く、時代に翻弄された草創期の選手のひとりだった。

大沢清【大沢三兄弟の長兄】

1916年12月1日生/ドラフト制度前(1937年入団)

右投右打/内野手・投手/プロ通算18年

背番号4の期間:7年(1938〜1948)

通算成績

〈打撃成績〉
試合安打打率本塁打打点盗塁
14611439.27146669111
〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
335113.80430

※登録名は「大沢伸夫」。投手成績は名古屋軍時代(1937〜40年)のもの。

前田に続いて背番号4を引き継いだのが大沢清。神奈川商工から国学院大を経て1937年に名古屋軍へ入団した。キャリア初期は投手としても登板し、のちに内野のユーティリティプレーヤーへと軸足を移した万能選手だ。1939年には川上哲治に次ぐ打率.310を残すなど打撃で頭角を現し、戦後は中部日本・中日でプレー。1949年以降は東急・大洋・広島でも主軸として活躍し、通算1439安打を積み上げた。背番号1を着けた大沢紀三男、のちに監督として知られる大沢啓二(“親分”)を弟に持つ、プロ野球一家の長兄でもある。

杉山悟【本塁打王&打点王の主砲】

1926年1月1日生/ドラフト制度前(1948年入団)

右投右打/外野手/プロ通算13年

背番号4の期間:6年(1951〜1956)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
13911184.249209698105

主なタイトル・表彰:本塁打王1回(1952年)/打点王1回(1954年)/ベストナイン2回(外野手部門:1952・1954年)

180cmを超える体格から「デカちゃん」と呼ばれた長距離砲。1948年に中日へ入団すると、1952年には27本塁打で本塁打王に輝き、同年ベストナインにも選ばれた。1954年には主に5番を打ち、打点王と2度目のベストナインを獲得。球団史上初のリーグ優勝・初の日本一に大きく貢献した、背番号4の歴代でも屈指のタイトルホルダーである。のちに国鉄・近鉄でもプレーし、通算209本塁打を記録した。

酒井敏明【守備の捕手】

1934年生/ドラフト制度前

右投右打/捕手/プロ通算6年

背番号4の期間:4年(1957〜1961)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
30194.1903366

背番号4を捕手として背負った珍しい一人。中日一筋でプレーし、守備での貢献が光る選手だった。打撃成績こそ大きくは残らなかったが、捕手として6年間チームを支えた。

1960年代の系譜

今津光男【息の長い内野手】

1938年生/ドラフト制度前

右投右打/内野手/プロ通算18年

背番号4の期間:2年(1962〜1963)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1389544.19618157114

中日・広島・阪急を渡り歩き、18年もの長きにわたって現役を続けた内野手。1962年から2年間、背番号4を着用した。レギュラーとして派手な数字こそ残さなかったが、息の長いキャリアを送った職人肌の選手だった。

山本久夫【控えの内野手】

1940年生/ドラフト制度前

右投右打/内野手/プロ通算5年

背番号4の期間:1年(1964)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
16983.2175318

1964年に背番号4を着けた内野手。出場機会は限られたが、控えとしてチームを支えた。

アスプロ(KEN ASPROMONTE)【初期の助っ人内野手】

1931年生/ドラフト制度前(1964年入団)

右投右打/内野手/NPB通算3年

背番号4の期間:2年(1964〜1965)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
295257.273311202

背番号4を着けた初期の助っ人内野手。来日3年間で打率.273・31本塁打を記録した。アメリカへ戻ったのちはクリーブランド・インディアンスの監督も務めた、指導者としても知られる人物である。

ワード(JAY WARD)【1年限りの助っ人】

1938年生/ドラフト制度前(1966年入団)

右投右打/内野手/NPB通算1年

背番号4の期間:1年(1966)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
10482.23814418

1966年の1年だけ背番号4を着けた助っ人内野手。104試合で14本塁打を放ったが、在籍はこの1シーズンのみだった。

浜中祥和【翌年からコーチに】

1938年生/ドラフト制度前

右投右打/内野手/プロ通算8年

背番号4の期間:1年(1967)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
58967.17011851

県立尼崎高出身の内野手。選手としては1967年に背番号4を着け、翌1968年からは同じ番号のままコーチへ。プレーヤー以外がこの番号を背負った数少ない例で、俊足を生かした守備・走塁で長くチームに貢献した。

フォックス(STEVE FOX)【短期の助っ人】

1946年生/ドラフト制度前(1969年入団)

左投左打/内野手/NPB通算1年

背番号4の期間:1年(1969)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
7641.2225230

1969年に背番号4を着けた助っ人内野手。在籍はこの1年のみで、76試合の出場にとどまった。

1970〜80年代の系譜(助っ人ラッシュ)

ミラー(JOHN MILLER)【3年連続20本超】

1944年3月4日生/ドラフト制度前(1970年入団)

右投右打/一塁手/NPB通算3年

背番号4の期間:3年(1970〜1972)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
382344.2457922213

1970年から3年間、背番号4を背負った一塁手。来日各年で24本・28本・27本と3年連続で20本塁打を超え、長打力でチームの中軸を担った助っ人だった。

テーラー(BOBBY TAYLOR)【1年だけの助っ人】

1944年生/ドラフト制度前(1973年入団)

右投左打/外野手/NPB通算3年

背番号4の期間:1年(1973)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
358328.2593011311

中日で背番号4を着けたのは1973年の1年のみ。その後は阪神でもプレーした外野手で、NPB通算では3年のキャリアを送った。

マーチン(GENE MARTIN)【20年ぶり優勝の主砲】

1947年生/ドラフト制度前(1974年入団)

右投左打/外野手/NPB通算6年

背番号4の期間:5年(1974〜1978)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
746698.2721894986

主なタイトル・表彰:ベストナイン1回(1974年・外野手部門)

与那嶺要監督の勧誘で来日した強打の外野手。1年目の1974年にいきなり35本塁打・87打点をマークし、巨人のV10を阻む20年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。同年ベストナインにも選ばれた。1976年には40本塁打・104打点を記録するなど、5年間にわたって主砲として君臨。大洋へ移籍した最終年も含め、NPB通算189本塁打を積み上げた、背番号4を代表するスラッガーである。

ジョーンズ(BOBBY JONES)【中軸を担った助っ人】

1949年生/ドラフト制度前(1979年入団)

左投左打/外野手/NPB通算2年

背番号4の期間:2年(1979〜1980)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
174155.28420755

1979年から2年間、背番号4を着けた外野手。ギャレットらと外国人コンビを組み、主に5番として打線の中軸を担った。通算打率.284と勝負強さを発揮した助っ人だった。

コージ(RAY COSEY)【1年限りの外野手】

1956年生/ドラフト制度前(1981年入団)

左投左打/外野手/NPB通算1年

背番号4の期間:1年(1981)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
12086.25115412

1981年の1年だけ背番号4を着けた助っ人外野手。120試合で15本塁打を放ったが、在籍はこのシーズンのみだった。

モッカ(KEN MACHA)【助っ人初の通算3割】

1950年9月29日生/ドラフト制度前(1982年入団)

右投右打/内野手/NPB通算4年

背番号4の期間:4年(1982〜1985)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
473516.304822686

主に3番・三塁手として「強竜打線」の一角を担った助っ人。来日1年目の1982年に打率.311・23本塁打を残し、8年ぶりのリーグ優勝に貢献した。1984年にはキャリアハイの31本塁打・93打点をマーク。在籍4年で打率3割を3度記録し、中日の外国人打者として初めて通算打率3割をクリアした。引退後はMLBのアスレチックスなどで監督を務めたことでも知られる。

ゲーリー(GARY RAJSICH)【一塁の長距離砲】

1954年生/ドラフト制度前(1986年入団)

左投左打/内野手/NPB通算3年

背番号4の期間:3年(1986〜1988)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
317332.283761896

モッカの後を継いで背番号4を着けた一塁手。1986年に36本塁打・82打点と長打力を発揮し、1987年には打率.317をマーク。3年間で76本塁打を放った、パンチ力のある助っ人だった。

1990年代の系譜

清水雅治【俊足の守備固め】

1964年生/浜田農-三菱自動車川崎

右投右打/内野手・外野手/プロ通算14年

背番号4の期間:2年(1989・1995)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
951362.24413111124

俊足を武器に、代走や守備固めとして長くチームを支えたユーティリティプレーヤー。1989年と1995年に背番号4を着用した。通算124盗塁と足で貢献し、引退後は日本代表(侍ジャパン)の外野守備走塁コーチも務めた守備走塁のスペシャリストである。

岩本好広【最終年に着用】

1959年生/半田農-東海理化

右投右打/内野手/プロ通算9年

背番号4の期間:1年(1990)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
39382.23393563

阪急から中日へ移った内野手で、現役最終年の1990年に背番号4を着けた。引退後は地元・愛知県大治町の町長を務めたという異色の経歴の持ち主でもある。

長嶋清幸【元祖「背番号0」】

1961年11月12日生/静岡県自動車工業高(1979年ドラフト外)

左投左打/外野手/プロ通算18年

背番号4の期間:1年(1991)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
14771091.27110744894

主なタイトル・表彰:ゴールデングラブ賞4回(1983・1984・1986・1987年・外野手部門)

日本球界で初めて背番号「0」を着けたことで知られる名外野手。広島時代の主力で、1984年の日本シリーズでは3本塁打・10打点と大暴れし、日本一の立役者として日本シリーズMVPに輝いた。守備でもゴールデングラブ賞を4度受賞している。1991年に中日へ移籍すると初年に開幕6番として打率.286と好調だったが、6月に右膝を大怪我。中日で背番号4を着けたのはこの1年だけで、オフには番号を「0」へと変えた。

佐野心【社会人出身の外野手】

1967年生/浜松商-専修大-いすゞ自動車

右投左打/外野手/プロ通算3年

背番号4の期間:3年(1992〜1994)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
271.091014

社会人・いすゞ自動車を経て入団した外野手で、1992年から3年間背番号4を着けた。一軍での出場機会は限られたが、背番号4の重みを背負った社会人出身の苦労人として系譜に名を連ねている。

コールズ(DARNELL COLES)【1番打者で打率.302】

1962年生/ドラフト制度前(1996年入団)

右投右打/内野手/NPB通算2年

背番号4の期間:1年(1996)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
193211.284361070

1996年に来日し、主に1番打者として全試合に出場。打率.302・29本塁打・79打点と長打力と勝負強さを兼ね備えた活躍を見せたが、守備の不安から在籍は1年限り。翌年は阪神でプレーした。彼のために作られた応援歌は、翌年に背番号4を継いだゴメスへとそのまま受け継がれている。

ゴメス(LEO GOMEZ)【最強助っ人の呼び声】

1966年3月2日生/ドラフト制度前(1997年入団)

右投右打/内野手/NPB通算6年

背番号4の期間:6年(1997〜2002)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
660690.2931534498

主なタイトル・表彰:ベストナイン2回(1997・1999年・三塁手部門)

プエルトリコ出身の主砲で、「ドラゴンズ史上最強の助っ人」と呼ぶファンも少なくない。ナゴヤドーム元年の1997年に4番として定着し、打率.315・31本塁打。1999年には36本塁打・109打点をマークし、リーグ優勝に大きく貢献した。同年9月と2000年5月には月間MVPにも選ばれている。背番号4の歴代では最長の在籍6年、最多の通算153本塁打を誇る、まさに看板選手だった。なお、ゴメスが入団した1997年には、ドラフト7位で加入した内野手・筒井壮(星野仙一監督の甥)が当初この背番号4を着ける予定だったが、ゴメスの獲得により背番号37へと変更されている。

2000年代以降の系譜

酒井忠晴【守備の名手】

1970年生/修徳高

右投右打/内野手/プロ通算17年

背番号4の期間:1年(2003)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1034517.2481218113

中日・ロッテ・楽天を渡り歩いた内野手。守備の堅実さに定評があり、2003年に背番号4を着けた。通算17年と息の長いキャリアを送った、いぶし銀の存在だった。

アレックス(ALEX OCHOA)【日米でサイクル安打】

1972年3月29日生/ドラフト制度前(2003年入団)

右投右打/外野手/NPB通算6年

背番号4の期間:3年(2004〜2006)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
765847.2899741617

主なタイトル・表彰:ゴールデングラブ賞1回(2004年・外野手部門)

NPBでの登録名は「アレックス」。強肩強打の外野手で、2004年から背番号4を着用した。同年4月13日にはサイクル安打を達成。1996年にMLBでも記録しており、史上唯一の「日米両リーグでのサイクル安打達成者」となっている。守ってはこの年ゴールデングラブ賞に輝き、落合博満監督就任1年目のリーグ優勝に貢献した。広島へ移った後も活躍し、NPB通算97本塁打を残している。

バレンタイン(JOE VALENTINE)【公式戦登板なし】

1979年生(アメリカ・ネバダ州出身)

投手/NPB在籍1年(2007)

背番号4の期間:1年(2007)

通算成績:一軍公式戦登板なし

歴代の背番号4で唯一の投手。MLBのレッズなどでプレーし、セットアッパーとしての活躍を期待されて2007年に来日した。しかし肘の故障や外国人枠の争いもあり、一軍公式戦での登板がないままシーズン途中に退団した。初代背番号1の丹羽淑雄と同じく、登板なしで系譜に名を残す選手である。

藤井淳志【背番号4の最長着用】

1981年5月20日生/豊橋東高-筑波大-NTT西日本(2005年大学生・社会人ドラフト3巡目)

右投両打/外野手/プロ通算16年

背番号4の期間:14年(2008〜2021)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1094634.2624527346

助っ人や短期の選手が多かった背番号4を、14年もの長きにわたって着け続けた歴代最長着用者。2009年に打率.299・10本塁打で自己最多出場を果たし、2013年にも.303をマーク。代打・守備固め・準レギュラーとして、中日一筋で長くチームを支えた。2021年限りで引退している。

鵜飼航丞【規格外のパワー】

1999年5月30日生/中京大中京高-駒沢大(2021年ドラフト2位)

右投右打/外野手/2022年〜現役(5年目)

背番号4の期間:3年(2022〜2024)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
14265.1857253

※成績は2025年シーズン終了時点。現役のため記録は更新中。

規格外のパワーが売りの大砲候補として、2021年ドラフト2位で入団した外野手。1年目の2022年に4本塁打を放つなど期待を集めたが、定位置の確保には至らず、2025年に背番号を66へ変更した。現在も現役としてプレーを続けている。

カリステ(ORLANDO CALIXTE)【現在の背番号4】

1992年2月3日生/ドミニカ共和国(エスクエラエチリアぺピン高-ロイヤルズ-ジャイアンツ)

右投右打/内野手/2023年〜現役(4年目)

背番号4の期間:2年目(2025〜現在)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
222175.24613633

※成績は2025年シーズン終了時点。現役のため記録は更新中。

そして、いまこの背番号4を背負うのがカリステだ。内野の複数ポジションを守れるユーティリティプレーヤーで、2023年に入団。2025年から背番号4を着けている。ロイヤルズやジャイアンツといったメジャー組織を経て来日した実力派で、背番号4の長い系譜の“現在地”として、これからどんな成績を積み上げていくのか注目したい。

歴代背番号4 全員の通算成績(フルキャリア合計)

歴代の着用者の通算成績を、それぞれの“フルキャリア”でまるごと合算してみた(MLB・移籍先の球団もすべて含む)。打者としての打撃成績と、投手を兼ねた選手の投手成績に分けて掲載する。

打撃成績(28人合計)

項目全28選手の合計
試合数15,388
安打10,988
打率.259
本塁打1,318
打点5,339
盗塁833

※各選手のプロ通算(中日以外の所属球団もすべて含む合計)。現役の鵜飼航丞・カリステは2025年シーズン終了時点の数値で、記録は更新中。打率は単純平均ではなく「総安打÷総打数」で算出。投手のみのバレンタインは公式戦出場がないため打者合計に含まない。

投手成績(投手陣合計)

項目投手陣の合計
登板33
勝利5
敗北11
セーブ0
奪三振43
投球回168.0
防御率3.80

※投手として登板したのは大沢清1人(名古屋軍時代)。バレンタインは投手登録だが一軍公式戦登板がないため除外。防御率は通算自責点71×9÷通算投球回168.0で算出。

背番号4だけで通算1万安打超え、本塁打は1,300本を上回る——長距離砲やパンチ力のある打者が代々受け継いできた番号らしい数字だ。

まとめ

初代の前田喜代士から現在のカリステまで、一軍で中日ドラゴンズの背番号4を背負ったのは29人。本塁打王・打点王に輝いた杉山悟、20年ぶりの優勝を呼んだマーチン、ナゴヤドーム時代の主砲ゴメス、史上唯一の日米サイクル安打を達成したアレックスと、歴代を彩るのは長打力に秀でた打者たちだ。一方で、元祖「背番号0」の長嶋清幸や、唯一の投手として登板なしに終わったバレンタインのような異色の存在もいる。

助っ人スラッガーの番号という色合いが濃いなかで、14年もの最長着用を果たした藤井淳志のような生え抜きもいた。いまはカリステがその系譜を受け継いでいる。背番号「4」を次に背負うのは誰になるのか——歴代の顔ぶれを振り返ると、その楽しみはいっそう大きくなる。

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