中日 (予)柳裕也 18:00 阪神 (予)伊藤将司

背番号「3」の系譜

背番号の系譜

中日ドラゴンズの背番号「3」は、球団創設の1936年から現在まで、内野の中軸や俊足巧打のリードオフマンが受け継いできた番号です。なかでも18年にわたり主軸を張った中利夫、そして22年間背負い続けた立浪和義という二人の象徴的な選手の存在によって、中日における「3」は内野手の名番号として定着しました。ここでは初代の松浦一義から現在の高橋周平まで、歴代の着用者をたどります。

中日ドラゴンズ 歴代背番号3 一覧

背番号選手名着用期間ポジションひとこと
3松浦一義1年(1936)投手初代の背番号3
3桜井正三1年(1936)投手一年で去った右腕
3倉本信護1年(1937)内野手草創期の内野手
3石田政良4年(1938〜1940、1946)外野手戦中を駆けた快足
3藤本英雄1年(1947)投手一年だけ竜に在籍した大投手
3国枝利通7年(1948〜1954)内野手戦後復興期の韋駄天
3内海武彦2年(1955〜1956)内野手つなぎの背番号3
3中 利夫(中 暁生)16年(1957〜1972)外野手黄金の一・二番
3藤波行雄3年(1974〜1976)外野手新人王のルーキー
3W.デービス1年(1977)外野手大リーグからの大物
3W.ギャレット2年(1979〜1980)内野手長打が魅力の助っ人
3富田勝2年(1981〜1982)内野手各球団を渡った好打者
3平野謙5年(1983〜1987)外野手守備走塁の達人
3立浪和義22年(1988〜2009)内野手ミスタードラゴンズ
3吉川大幾4年(2011〜2014)内野手守備固めの職人
3高橋周平12年目(2015〜現在)内野手現在の背番号3

戦前〜戦後初期(1936〜1947)

松浦一義【初代の背番号3】

1910年2月11日生まれ / ドラフト:なし(球団創設期入団)

右投右打 / 投手 / プロ通算1年

背番号3の期間:1年(1936)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北奪三振投球回防御率
238931134.23.00
〈打撃成績〉
試合打数安打本塁打打点盗塁打率
235312142.226

名古屋軍の創設初年度に背番号3を着けた初代の選手です。アメリカで育った速球派の投手として知られ、1936年の春夏シーズンは6登板で4勝1敗、防御率0点台と好投しました。在籍はこの1年のみで、球団史の最初のページにその名を残しています。

桜井正三【一年で去った右腕】

1914年2月8日生まれ / ドラフト:なし(球団創設期入団)

左投 / 投手 / プロ通算1年

背番号3の期間:1年(1936)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北奪三振投球回防御率
10018.26.00

松浦と同じ1936年に背番号3を引き継いだ左腕で、一宮中から明治大、関西学院大を経て名古屋軍に在籍しました。公式戦の登板は1試合のみにとどまり、創設期の慌ただしさを物語る記録となっています。

倉本信護【草創期の内野手】

1913年6月9日生まれ / ドラフト:なし

右投右打 / 内野手 / プロ通算4年

背番号3の期間:1年(1937)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
17355111475110.207

阪急で日本初のリーグ戦に出場した経歴を持ち、1937年シーズン途中に名古屋軍へ移った際に背番号3を着けました。背番号3としての着用は1937年の1年のみで、その後は名古屋軍、金鯱と渡り歩いています。上の通算成績は全所属球団を合算したものです。

石田政良【戦中を駆けた快足】

1914年1月7日生まれ / ドラフト:なし

右投右打 / 外野手 / プロ通算5年

背番号3の期間:4年(1938〜1940、1946)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
29493121503488.231

戦前から戦後にかけて名古屋(中部日本)で背番号3を着けた俊足の外野手です。通算88盗塁を記録する一方で本塁打は0という、足とミートで貢献するタイプでした。戦争による中断をはさみ、1946年にも背番号3で復帰しています。

藤本英雄【一年だけ竜に在籍した大投手】

1918年5月18日生まれ / ドラフト:なし

右投右打 / 投手 / プロ通算13年

背番号3の期間:1年(1947)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北奪三振投球回防御率
3672008711772628.11.90
〈打撃成績〉
試合打数安打本塁打打点盗塁打率
54912753121515129.245

主なタイトル・表彰:最多勝利1回/最優秀防御率3回/最多奪三振2回/最高勝率3回/沢村賞(1949年)/ベストナイン1回

通算200勝、防御率1点台という大投手で、キャリアの大半を巨人で過ごしました。1950年には日本プロ野球史上初の完全試合を達成し、1976年には野球殿堂入りも果たしています。中日(当時の中部日本)に在籍したのは1947年の1年だけで、35登板17勝をマークしました。背番号3を着けたのもこの1年のみですが、歴代屈指の実績を持つ顔ぶれの一人です。上記は全所属球団を通算した数字です。

昭和の主軸(1948〜1972)

国枝利通【戦後復興期の韋駄天】

1920年6月23日生まれ / ドラフト:なし

右投右打 / 内野手 / プロ通算7年

背番号3の期間:7年(1948〜1954)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
701232263310201192.273

岐阜商から明治大を経て入団し、戦後復興期の中日で7年間にわたり背番号3を着けた内野手です。通算192盗塁を誇る俊足で、1950年には39盗塁を記録するなど機動力で打線を引っ張りました。背番号3を一つの番号として長く定着させた最初の選手といえます。

内海武彦【つなぎの背番号3】

1933年1月25日生まれ / ドラフト:なし

右投右打 / 内野手 / プロ通算2年

背番号3の期間:2年(1955〜1956)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
17213010.143

同志社大から倉敷レーヨンを経て入団し、1955年から2年間背番号3を着けました。出場は通算17試合と限られ、次代の中利夫へとバトンをつなぐ位置づけとなりました。

中 利夫(中 暁生)【黄金の一・二番】

1936年4月28日生まれ / ドラフト:なし

左投左打 / 外野手 / プロ通算18年

背番号3の期間:16年(1957〜1972)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
187765811820139541347.277

主なタイトル・表彰:首位打者1回(1967年)/盗塁王1回(1960年)/ベストナイン5回(1960・1965〜67・1970年)/オールスターゲームMVP1回(1959年)

前橋高から入団し、中日一筋18年でプレーした球団史を代表する外野手です。入団時は56番、35番を経て1957年に背番号3を着け、以降は引退まで番号を背負い続けました。俊足好打の一番打者として高木守道との「黄金の一・二番」を形成し、1960年には50盗塁で盗塁王、1967年には打率.343で首位打者に輝いています。通算1820安打・347盗塁は背番号3の歴史を語るうえで欠かせない数字です。現役引退後は中日の監督も務めました。なお日本野球機構の登録名は「中 暁生」で、選手としては「中 利夫」「中 三夫」とも表記されました。

助っ人と実力者の時代(1974〜1987)

藤波行雄【新人王のルーキー】

1951年4月26日生まれ / ドラフト:1973年ドラフト1位

左投左打 / 外野手 / プロ通算14年

背番号3の期間:3年(1974〜1976)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
114619765392418637.273

主なタイトル:新人王(1974年)

中央大からドラフト1位で入団し、1年目から背番号3を与えられた期待のルーキーでした。入団初年度に新人王を獲得する活躍を見せています。背番号3を着けたのは1974年から3年間で、その後は背番号を替えて中日一筋14年のキャリアを全うしました。

W.デービス【大リーグからの大物】

1940年4月15日生まれ / ドラフト:なし(外国人選手)

左投左打 / 外野手 / プロ通算2年(NPB)

背番号3の期間:1年(1977)

通算成績(NPB)

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
1997972374313222.297

ドジャースなど大リーグの複数球団で活躍した大物外国人で、1977年に来日して背番号3を着けました。中日での1年は72試合で打率.306、25本塁打と長打力を見せています。翌年はクラウンライターでプレーしました。上記はNPBでの通算成績です。

W.ギャレット【長打が魅力の助っ人】

1947年12月3日生まれ / ドラフト:なし(外国人選手)

右投左打 / 内野手 / プロ通算2年(NPB)

背番号3の期間:2年(1979〜1980)

通算成績(NPB)

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
19260614628933.241

メッツなどでプレーした内野手で、1979年から2年間背番号3を着けました。来日1年目は115試合に出場し20本塁打・71打点をマークするなど、長打力が魅力の助っ人でした。上記はNPBでの通算成績です。

富田勝【各球団を渡った好打者】

1946年10月11日生まれ / ドラフト:1968年ドラフト1位

右投右打 / 内野手 / プロ通算13年

背番号3の期間:2年(1981〜1982)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
130340281087107451126.270

南海でプロ入りし、巨人、日本ハムを経てキャリア晩年の1981年に中日へ加わった好打者です。背番号3を着けたのは中日での1981年から1982年で、通算1000安打を超える実績を持つベテランとして打線を支えました。上記は全所属球団を通算した数字です。

平野謙【守備走塁の達人】

1955年6月20日生まれ / ドラフト:1977年ドラフト外

右投両打 / 外野手 / プロ通算16年

背番号3の期間:5年(1983〜1987)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
16835676155153479230.273

主なタイトル・表彰:盗塁王1回(1986年)/ベストナイン1回(1988年)/ゴールデングラブ賞9回(1982・1985・1986・1988〜1993年)

ドラフト外で入団し、外野守備と走塁、堅実なバットコントロールで存在感を放ったスイッチヒッターです。中日では1983年から背番号3を着け、その後は西武、ロッテへと移籍して長く活躍しました。ゴールデングラブ賞を通算9回受賞した守備の名手として知られ、通算230盗塁を記録しています。上記は全所属球団を通算した数字です。

ミスタードラゴンズと現在(1988〜現在)

立浪和義【ミスタードラゴンズ】

1969年8月19日生まれ / ドラフト:1987年ドラフト1位

右投左打 / 内野手 / プロ通算22年

背番号3の期間:22年(1988〜2009)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
2586871624801711037135.285

主なタイトル・表彰:新人王(1988年)/ベストナイン2回(1996・2004年)/ゴールデングラブ賞5回(1988・1995〜97・2003年)

PL学園で甲子園春夏連覇を達成し、ドラフト1位で入団。1年目から遊撃手として開幕スタメンに名を連ね、新人王を獲得しました。以降は遊撃手、二塁手、三塁手と守備位置を変えながら、22年間にわたって背番号3を背負い続けた「ミスタードラゴンズ」です。ゴールデングラブ賞は遊撃・二塁・三塁の3ポジションで受賞しており、これは史上最多です。通算2480安打、そして二塁打487はプロ野球史に残る記録で、中日のリーグ優勝にも長く貢献しました。引退後は中日の監督も務め、2019年には野球殿堂入りを果たしています。

吉川大幾【守備固めの職人】

1992年8月21日生まれ / ドラフト:2010年ドラフト2位

右投右打 / 内野手 / プロ通算10年

背番号3の期間:4年(2011〜2014)

通算成績

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
268172310614.180

PL学園からドラフト2位で入団し、立浪の引退後に空いた背番号3を2011年から着けた内野手です。守備固めや代走での起用が多く、堅実な内野守備と走塁でチームに貢献しました。2015年に巨人へ移籍し、2020年限りで現役を引退しました。上記は全所属球団を通算した数字です。

高橋周平【現在の背番号3】

1994年1月18日生まれ / ドラフト:2011年ドラフト1位

右投左打 / 内野手 / 2012年〜現役(15年目)

背番号3の期間:12年目(2015〜現在)

通算成績(2025年シーズン終了時)

試合打数安打本塁打打点盗塁打率
10903372869573739.258

主なタイトル・表彰:ベストナイン1回(2019年)/ゴールデングラブ賞2回(2019・20年)

3球団競合の末にドラフト1位で入団し、入団時は31番、9番を経て2015年から背番号3を着けている現在の着用者です。三塁を中心に二塁もこなす内野手で、2019年には打率.293を記録するとともにベストナインとゴールデングラブ賞を獲得し、翌2020年も打率.305をマークして2年連続のゴールデングラブ賞に輝きました。立浪から続く背番号3を受け継ぎ、中日の内野を支えています。上記は2025年シーズン終了時点の通算成績です。

全員の通算成績(フルキャリア合計)

打撃成績(16人合計)

試合数安打打率本塁打打点盗塁
12,10210,049.2716553,7401,244

投手成績(投手陣合計)

登板勝利敗北奪三振投球回防御率
391208961,2092,771.21.96

※打撃合計は16人全員のプロ通算(中日以外の所属球団もすべて含む合計、外国人選手はNPB通算、現役の選手は2025年シーズン終了時)。打率は単純平均ではなく「総安打÷総打数」で算出。投手合計は公式戦に登板した3名(松浦・桜井・藤本)のみを対象とし、防御率は「通算自責点×9÷通算投球回」で算出しています。

まとめ

中日ドラゴンズの背番号3は、球団創設期の投手から始まり、戦後は俊足の内野手・外野手が受け継ぎ、やがて中利夫と立浪和義という二人の長期着用者によって「内野の名番号」として確立されました。通算安打1万本を超える歴代着用者の積み重ねは、そのまま中日というチームの歩みでもあります。現在は高橋周平がその番号を背負い、系譜は今も続いています。

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