背番号「11」は、多くの球団でエース格の投手が背負う特別な番号だ。中日ドラゴンズでも、球団が誕生した1936年から現在まで、この番号を託されたのは24人。初代の野村実から、いまマウンドに立つ中西聖輝まで——戦前の俊足外野手あり、球団初優勝を支えた左腕あり、そして沢村賞右腕・川上憲伸のような球団史に残るエースあり。その顔ぶれは、投手王国・中日の90年の歩みそのものだ。本記事では、歴代24人の在籍期間・通算成績・獲得タイトルを、NPB公式記録をもとにひとりずつ辿っていく。
中日ドラゴンズ 歴代背番号11 一覧
| 代 | 選手名 | 背番号「11」の期間 | ポジション | ひとこと |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 野村実 | 1年(1936) | 内野手 | 初代背番号「11」 |
| 2 | 小阪三郎 | 1年(1936) | 内野手 | 戦前の内野手 |
| 3 | 石田政良 | 1年(1937) | 外野手 | 盗塁王(1940) |
| 4 | 田中実 | 2年(1938〜1939) | 投手 | 投手兼内野手 |
| 5 | 河村章 | 3年(1940〜1942) | 投手 | 戦前の左腕 |
| 6 | 久野勝美 | 5年(1946〜1950) | 投手 | 戦後復興期の主戦左腕 |
| 7 | 小島禎二 | 1年(1951) | 投手 | 戦後の左腕 |
| 8 | 石川克彦 | 7年(1953〜1959) | 投手 | 最高勝率/球団初優勝の立役者 |
| 9 | 片岡健治 | 2年(1960〜1961) | 投手 | 短期在籍の右腕 |
| 10 | 岩瀬光時 | 1年(1962) | 投手 | 在籍のみの記録 |
| 11 | 島野育夫 | 2年(1963〜1964) | 外野手 | ゴールデングラブ3回/星野の名参謀 |
| 12 | 畑隆幸 | 1年(1965) | 投手 | 西鉄黄金期の左腕 |
| 13 | 高岡英司 | 2年(1966〜1967) | 投手 | 短期在籍の左腕 |
| 14 | 徳武定之 | 3年(1968〜1970) | 内野手 | 早実・早大の名手 |
| 15 | 川畑和人 | 1年(1971) | 投手 | 各地を渡った右腕 |
| 16 | 三沢淳 | 13年(1972〜1984) | 投手 | 「11」を連続最長13年/巨人キラー |
| 17 | 古川利行 | 3年(1985〜1987) | 投手 | 中継ぎ左腕 |
| 18 | 鎌仲政昭 | 4年(1988〜1991) | 投手 | 雌伏の年月 |
| 19 | 小野和幸 | 2年(1992〜1993) | 投手 | 最多勝(移籍前年に獲得) |
| 20 | 平田洋 | 4年(1994〜1997) | 投手 | ドラフト1位右腕 |
| 21 | 川上憲伸 | 計15年(1998〜2008、2012〜2015) | 投手 | 背番号「11」の象徴/沢村賞 |
| 22 | 岡田俊哉 | 計3年(2010〜2011、2025) | 投手 | 復活のサウスポー |
| 23 | 小笠原慎之介 | 9年(2016〜2024) | 投手 | エース左腕から海を渡る |
| 24 | 中西聖輝 | 1年目(2026〜現在) | 投手 | 現在の背番号「11」 |
戦前〜戦後初期の系譜(1936〜1951)
野村実【初代背番号「11」】
右投右打/内野手/プロ通算3年
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 160 | 114 | .208 | 1 | 47 | 5 |
球団創設の1936年、名古屋軍で初めて背番号「11」を背負ったのが野村実だ。広陵中から横浜専門学校を経てプロ入りし、1936年に名古屋で16試合に出場。翌1937年からはイーグルスへ移り、通算では160試合に出場した。記録に残る数字は多くないが、中日の背番号「11」の物語は、この初代から始まった。
小阪三郎【戦前の内野手】
右投右打/内野手/プロ通算約2年
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 89 | 33 | .145 | 1 | 12 | 9 |
宇治山田商から明治大、簡易保険局を経て、1936年秋に名古屋軍へ入団した内野手。同年に背番号「11」を着けた。応召を挟んで1944年の産業軍でもプレーし、引退後は国鉄スワローズのマネージャーを務めた。
石田政良【1940年の盗塁王】
右投右打/外野手/プロ通算約5年
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 294 | 215 | .231 | 0 | 34 | 88 |
主なタイトル・表彰:盗塁王(最多盗塁)1940年
鹿児島商から明治大などを経て、1937年に名古屋軍で背番号「11」を着けた俊足の外野手。1番・中堅手としてチームの起点を担った。1940年には32盗塁で盗塁王を獲得。しかも同年8月下旬に応召で32試合を残してチームを離れながら、独走の差を詰められずにそのままタイトルを手にするという圧巻の走塁だった。1938年春には打率.324をマークするなど、走攻に光るものを持ったチャンスメーカーだった。
田中実【投手兼内野手】
右投右打/投手(内野手兼務)/プロ通算3年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 62 | 11 | 10 | 3.94 | 52 | 0 |
1937年に名古屋軍でデビューし、投手兼内野手として活躍した二刀流タイプ。1937年春には36登板9勝と主力級の働きを見せ、1938年から背番号「11」を背負った。1939年限りで一線を退いており、その後の「11」は左腕・河村章へと受け継がれていく。
河村章【戦前の左腕】
左投左打/投手/プロ通算約6年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 159 | 36 | 47 | 2.97 | 216 | 0 |
小倉工から日本大、門司鉄道局を経て1940年に名古屋軍入りした左腕。同年から背番号「11」を背負い、1941年には14勝・防御率1.48と好投を見せた。戦争を挟んで金星・大映・西鉄でもプレー。通算防御率2.97は、投手受難の時代にあって確かな実力を示す数字である。
久野勝美【戦後復興期の主戦左腕】
左投左打/投手/プロ通算5年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 92 | 19 | 30 | 4.20 | 103 | 0 |
中京商出身の左腕。プロ野球が再開した1946年に中部日本へ途中入団すると、1年目から7勝を挙げる貴重な戦力となり、この年から背番号「11」を着けた。1948年には42登板と主戦格で投げ抜いている。1950年、中京商の先輩でもある杉浦清監督の解任に反発して球団を去った、筋の通った左腕だった。
小島禎二【戦後の左腕】
左投左打/投手/プロ通算5年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 14 | 0 | 0 | 9.32 | 13 | 0 |
名古屋三商から日本体育専門学校を経てプロ入りした左腕。中日・名古屋で1948年から1952年までプレーし、1951年に背番号「11」を着けた。登板機会は限られたが、戦後間もない時期のブルペンを支えた一人である。
昭和の系譜(1953〜1972)
石川克彦【最高勝率/球団初優勝の立役者】
右投右打/投手/プロ通算7年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 162 | 59 | 25 | 2.31 | 404 | 0 |
主なタイトル・表彰:最高勝率(最優秀勝率投手)1953年
岡崎高からプロ入りし、1953年から7年間にわたって背番号「11」を背負った右腕。その1953年に18勝4敗・勝率.818で最高勝率のタイトルを獲得すると、翌1954年は開幕投手として21勝を挙げ、球団初のリーグ優勝と日本一の原動力となった。杉下茂と並ぶ二枚看板として黄金期の入口を支えた投手であり、通算防御率2.31が投球術の確かさを物語る。2013年に逝去した。
片岡健治【短期在籍の右腕】
右投右打/投手/プロ通算2年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 3 | 0 | 0 | 4.50 | 5 | 0 |
大田原高からいすゞ自動車を経て入団した右腕で、1960年から2年間、背番号「11」を着けた。一軍での登板は3試合にとどまったが、社会人経由でプロの舞台に立った努力の投手として系譜に名を残す。
岩瀬光時【在籍のみの記録】
投手/プロ在籍1年
通算成績:一軍公式戦出場なし(在籍のみ)
1962年に背番号「11」を着けた投手。ただし一軍公式戦での出場記録はなく、NPBの選手成績にも登録がない。数字こそ残さなかったが、この番号を受け継いだ一人として名を留める。
島野育夫【ゴールデングラブ3回/星野の名参謀】
右投右打/外野手/プロ通算15年
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1466 | 733 | .242 | 24 | 211 | 251 |
主なタイトル・表彰:ゴールデングラブ賞(当時ダイヤモンドグラブ賞)3回(1973・1974・1975年)
作新学院高から明電舎を経て入団し、中日初期の1963〜1964年に背番号「11」を着けた外野手。中日ではまだ芽が出なかったが、1968年の南海移籍後にレギュラーへと定着する。中堅手として1973年には61盗塁を記録し、同年から3年連続でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞。俊足堅守の名手として花開いた。現役後は星野仙一の名参謀として中日・阪神の優勝に貢献したことでも知られる。2007年に逝去した。
畑隆幸【西鉄黄金期の左腕】
左投左打/投手/プロ通算9年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 246 | 56 | 50 | 3.06 | 731 | 0 |
小倉高からプロ入りし、西鉄ライオンズ黄金期の一角を担った左腕。1960年には219奪三振を記録するなど、“稲尾和久が嫉妬した男”とも評された実力者だった。現役最終年の1965年に中日へ移り、背番号「11」を着けた。黄金期の西鉄を支えた一人であり、エッセイストの畑正憲(ムツゴロウさん)は従兄にあたる。2025年8月に逝去した。
高岡英司【短期在籍の左腕】
左投左打/投手/プロ通算2年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 10 | 1 | 1 | 5.68 | 11 | 0 |
東筑高から富士製鉄広畑を経て、1965年のドラフト6位で入団した左腕。1966〜1967年に背番号「11」を着けた。一軍登板は10試合ながら、社会人からプロの門をくぐった実力派として系譜に名を連ねる。
徳武定之【早実・早大の名手】
右投右打/内野手/プロ通算10年
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1063 | 903 | .259 | 91 | 396 | 35 |
早稲田実業から早稲田大学へ進み、東京六大学でベストナインに5季連続で選ばれた名内野手。1961年に11球団競合の末に国鉄へ入団し、長く主力を務めた。1968年に中日へ移り、背番号「11」を着けて晩年の3年間をプレー。通算903安打・91本塁打と、息の長い活躍を見せたベテランだった。
川畑和人【各地を渡った右腕】
右投右打/投手/プロ通算約8年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 89 | 9 | 10 | 3.90 | 136 | 0 |
鹿児島実から1966年の第一次ドラフト2位で東京(のちのロッテ)へ入団した右腕。1970年途中に中日へ移り、1971年に背番号「11」を着けた。その後も広島、阪急とユニフォームを替えながら投げ続けた、各地を渡り歩いた職人肌の投手である。
三沢淳【「11」を連続最長13年/巨人キラー】
右投左打/投手/プロ通算15年
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 505 | 107 | 106 | 3.81 | 914 | 6 |
江津工から新日鉄広畑を経て、1970年のドラフト3位で入団した下手投げ右腕。1972年から1984年まで、歴代の背番号「11」では連続で最長となる13年間この番号を守り続けた。1975年・1979年に13勝を挙げるなど息の長い活躍を見せ、独特の軌道で巨人打線を苦しめた“巨人キラー”として知られる。通算107勝は中日の背番号「11」を代表する数字だ。引退後は衆議院議員も務めた。2022年に逝去している。
1980〜2000年代の系譜(1985〜2015)
古川利行【中継ぎ左腕】
左投左打/投手/プロ通算約3年
背番号「11」の期間:3年(1985〜1987)
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 22 | 0 | 0 | 4.50 | 19 | 0 |
北越商から日本鋼管を経て、1984年のドラフト3位で入団した左腕。1985年から背番号「11」を着け、リリーフとしてマウンドに立った。勝ち星こそ記録できなかったが、社会人育ちの技巧派としてブルペンの一角を担った。
鎌仲政昭【雌伏の年月】
右投右打/投手/プロ通算約5年
背番号「11」の期間:4年(1988〜1991)
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 2 | 0 | 0 | 13.50 | 2 | 0 |
公立の進学校・神戸高から1987年のドラフト2位で入団した右腕。1988年から4年にわたって背番号「11」を着けたが、この期間の一軍登板はなく、一軍でマウンドに立ったのは番号が替わった1992年のみだった。エリートコースから異色の道を歩んだ投手である。
小野和幸【最多勝(移籍前年に獲得)】
右投右打/投手/プロ通算約12年
背番号「11」の期間:2年(1992〜1993)
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 151 | 43 | 39 | 4.19 | 446 | 0 |
主なタイトル・表彰:最多勝利 1988年(18勝、ヤクルト・伊東昭光と2人で受賞)
※以下は主なタイトルに含めない
最高勝率(1988年は勝率.818でリーグ最高も、当時セ・リーグは最高勝率を表彰対象としていなかったため)
金足農から1980年のドラフト外で西武へ入団。二軍ではエース級の活躍を見せたが一軍にはなかなか定着できず、平野謙との交換トレードで1988年に中日入りした。すると移籍1年目にいきなり18勝を挙げて最多勝を獲得し、星野監督の下でのリーグ優勝の立役者に。“ひげの小野”として親しまれた。中日で背番号「11」を着けたのは、才能が開花した後の1992〜1993年だった。
平田洋【ドラフト1位右腕】
右投右打/投手/プロ通算約4年
背番号「11」の期間:4年(1994〜1997)
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 2 | 0 | 1 | 32.40 | 4 | 0 |
豊田大谷高から1993年のドラフト1位で入団した期待の右腕。1994年から背番号「11」を着けたが、一軍登板は1994〜1995年の2試合にとどまった。
川上憲伸【背番号「11」の象徴/沢村賞】
1975年6月22日生/1997年ドラフト1位
右投右打/投手
背番号「11」の期間:計15年(1998〜2008、2012〜2015)
通算成績
| 区分 | 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB通算 | 275 | 117 | 76 | 3.24 | 1381 | 1 |
| MLB通算 | 27 | 8 | 22 | 4.32 | 164 | 1 |
主なタイトル・表彰:最優秀新人(新人王)1998年/最多勝利2回(2004・2006年)/最多奪三振 2006年/沢村栄治賞 2004年/最優秀選手(MVP)2004年/ベストナイン2回(2004・2006年)/ゴールデングラブ賞3回(2004・2006・2007年)/最優秀バッテリー賞2回(2004・2006年)
※以下は主なタイトルに含めない
最高勝率(2006年は勝率リーグ最高も、当時セ・リーグは最高勝率を表彰対象としていなかったため)
月間MVP(受賞多数だがシーズンタイトルではないため)
徳島商から明治大を経て、1997年のドラフト1位で入団。1年目の1998年から新人王を獲得し、以後ドラゴンズのエースとして君臨した。2002年8月1日には対巨人戦でノーヒットノーランを達成(21世紀のNPBでは初)。2004年には最多勝・沢村賞・MVPを独占し、球団の日本一に貢献した。2009年からはメジャーのブレーブスでプレーし、2012年に中日へ復帰。通算15年にわたって背番号「11」を背負い、その名を番号の象徴にまで高めた、球団史を代表する右腕である。
2010年代以降の系譜(2010〜現在)
岡田俊哉【復活のサウスポー】
1991年12月5日生/2009年ドラフト1位
左投左打/投手/プロ通算約12年
背番号「11」の期間:計3年(2010〜2011、2025)
通算成績
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|
| 354 | 19 | 24 | 3.60 | 366 | 19 |
智弁和歌山から2009年のドラフト1位で入団した左腕。入団直後の2010〜2011年に一度背番号「11」を着け(この間は一軍未登板)、川上の復帰にともなって番号を譲った。その後は主に左のセットアッパーとして活躍し、2017年のWBCでは侍ジャパンにも選出。大きな故障を乗り越えて2025年に支配下復帰を果たすと、再び背番号「11」を背負ってマウンドに戻り、同年限りで現役を退いた。
小笠原慎之介【エース左腕から海を渡る】
1997年10月8日生/2015年ドラフト1位
右投左打/投手/NPB9年
背番号「11」の期間:9年(2016〜2024)
通算成績
| 区分 | 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB通算 | 161 | 46 | 65 | 3.62 | 757 | 0 |
| MLB通算 | 23 | 1 | 1 | 6.98 | — | 0 |
東海大相模から2015年のドラフト1位で入団した左腕。川上のあとを継ぐ形で2016年から背番号「11」を着け、先発の柱として長く投げ続けた。2022年には自身初の2桁となる10勝をマーク。2025年からはメジャーのワシントンでプレーし、2026年からは巨人でNPBに復帰している。
中西聖輝【現在の背番号「11」】
2003年12月18日生/2025年ドラフト1位
右投右打/投手/プロ1年目
背番号「11」の期間:1年目(2026〜現在)
そして、いまこの背番号「11」を背負うのが中西聖輝だ。智弁和歌山から青山学院大へ進んだ本格派右腕で、2025年のドラフト1位で入団。伝統あるエースナンバーの新たな担い手として、2026年からこの背番号「11」を託された。川上憲伸から続く系譜を受け継ぐ次世代の柱として、大きな期待を集める新戦力である。背番号「11」の物語は、この若き右腕とともに新たな一歩を踏み出したばかりだ。
歴代背番号11 全員の通算成績(フルキャリア合計)
歴代24人の通算成績を、それぞれの“フルキャリア”でまるごと合算してみた(中日以外の所属球団もすべて含む)。野手として出場した5選手の打撃成績と、投手陣の投手成績に分けて掲載する。
打撃成績(野手5人合計)
| 項目 | 野手5選手の合計 |
|---|---|
| 試合数 | 3,072 |
| 安打 | 1,998 |
| 打率 | .243 |
| 本塁打 | 117 |
| 打点 | 700 |
| 盗塁 | 388 |
※野手として出場した野村実・小阪三郎・石田政良・島野育夫・徳武定之の5人の合計。各人のプロ通算(中日以外の所属球団もすべて含む合計)。打率は単純平均ではなく「総安打÷総打数」で算出。
投手成績(投手陣合計)
| 項目 | 投手陣の合計 |
|---|---|
| 登板 | 2,309 |
| 勝利 | 523 |
| 敗北 | 484 |
| セーブ | 26 |
| 奪三振 | 5,560 |
| 投球回 | 9,252.2 |
| 防御率 | 3.49 |
※投手として登板した選手の合計(一軍公式戦の登板がない岩瀬光時、および2026年に入団したばかりの中西聖輝は除く)。防御率は通算自責点3,583×9÷通算投球回9,252.2回で算出。川上憲伸・小笠原慎之介はNPBでの成績のみを合算し、両選手のMLB分は含まない(各選手の区分表を参照)。
背番号「11」だけで通算500勝超え・5,500奪三振超え——エースナンバーにふさわしい数字が並ぶ。
まとめ
初代の野村実から現在の中西聖輝まで、中日ドラゴンズの背番号「11」を背負ったのは24人。戦前に盗塁王を獲った石田政良や、球団初優勝を支えた石川克彦、下手投げで巨人を苦しめ13年間この番号を守った三沢淳、そして新人王・最多勝・沢村賞を手にし番号を象徴にまで高めた川上憲伸——投手を中心に、球団史の節目節目にこの番号の名手が立ってきた。エースナンバーの系譜は、いま川上の背中を追う若き右腕・中西聖輝へと受け継がれている。



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