試合結果 DeNA 1 - 5 中日 勝:橋本 敗:宮城
本日試合なし

背番号「12」の系譜

背番号の系譜

中日ドラゴンズの背番号「12」は、球団が誕生した1936年から2024年までに、実に28人が袖を通してきた番号だ。初代は本塁打王に輝いた日系選手の高橋吉雄。その後には、セ・リーグ盗塁王を連続で獲得した岡嶋博治と、セ・パ両リーグで盗塁王を制した史上唯一の男・河野旭輝が、”盗塁王どうしの交換トレード”でこの番号を受け継ぐという珍しい出来事もあった。俊足の名手が幾人も背負い、平成以降は救援投手の番号として定着。近年は田島慎二が歴代最長の11年にわたって着け、2024年限りでの引退までこの番号を守り抜いた。本記事では、歴代28人の在籍期間・通算成績・獲得タイトルを、NPB公式記録をもとにひとりずつ辿っていく。

  1. 中日ドラゴンズ 歴代背番号「12」一覧
  2. 戦前〜戦後初期の系譜
    1. 高橋吉雄【初代・本塁打王】
    2. 石丸藤吉【戦前の内野手】
    3. 倉本信護【戦前の捕手】
    4. 牧常一【1年限りの外野手】
    5. 鬼頭政一【強打の内野手】
    6. 星田次郎【戦後初期の主戦投手】
    7. 一柳忠尚【名古屋では出場なし】
    8. 小沢重光【1年限りの内野手】
    9. 岡嶋博治【セ・リーグ盗塁王2回】
  3. 昭和の系譜(1960〜80年代)
    1. 河野旭輝【両リーグ制覇の盗塁王】
    2. 牧田政彦【移籍してきた左腕】
    3. 浜中祥和【俊足の内野手】
    4. 井手峻【東大出身の投手兼野手】
    5. 江島巧【長打力ある外野手】
    6. 飯田幸夫【7年背負ったユーティリティ】
    7. 高橋三千丈【ドラ1右腕】
  4. 平成の系譜(1980〜2000年代)
    1. 劔持貴寛【晩年に着けた俊足の外野手】
    2. 斉藤学【ドラ1右腕】
    3. 義信(陳義信)【台湾球界の大投手】
    4. 石本貴昭【近鉄の抑えだった左腕】
    5. 横田真之【ベストナイン2回の巧打者】
    6. 落合英二【中日一筋のリリーバー】
    7. 金森隆浩【投手から野手へ】
    8. K.ジャービス(KEVIN JARVIS)【メジャー通算34勝の右腕】
    9. 日笠雅人【左のリリーバー】
    10. 岡本真也(岡本慎也・岡本真或)【最優秀中継ぎ投手】
  5. 2010年代以降の系譜
    1. 清水昭信【中日一筋のリリーバー】
    2. 田島慎二【歴代最長11年の守護神】
  6. 全員の通算成績(フルキャリア合計)
    1. 打撃成績(14人合計)
    2. 投手成績(投手陣14人合計)
  7. まとめ

中日ドラゴンズ 歴代背番号「12」一覧

選手名背番号12の期間ポジションひとこと
1高橋吉雄1年(1936)内野手初代・本塁打王
2石丸藤吉4年(1937・1941〜1943)内野手戦前の内野手
3倉本信護1年(1938)捕手戦前の捕手
4牧常一1年(1939)外野手1年限りの外野手
5鬼頭政一1年(1940)内野手強打の内野手
6星田次郎7年(1946〜1952)投手戦後初期の主戦投手
7一柳忠尚1年(1953)捕手名古屋では出場なし
8小沢重光1年(1954)内野手1年限りの内野手
9岡嶋博治7年(1954〜1960)内野手セ・リーグ盗塁王2回
10河野旭輝3年(1961〜1963)内野手両リーグ制覇の盗塁王
11牧田政彦1年(1964)投手移籍してきた左腕
12浜中祥和2年(1965〜1966)内野手俊足の内野手
13井手峻3年(1967〜1969)投手東大出身の投手兼野手
14江島巧2年(1970〜1971)外野手長打力ある外野手
15飯田幸夫7年(1972〜1978)内野手7年背負ったユーティリティ
16高橋三千丈6年(1979〜1984)投手ドラ1右腕
17劔持貴寛1年(1985)外野手晩年に着けた俊足の外野手
18斉藤学3年(1986〜1988)投手ドラ1右腕
19義信(陳義信)2年(1989〜1990)投手台湾球界の大投手
20石本貴昭2年(1991〜1992)投手近鉄の抑えだった左腕
21横田真之1年(1993)外野手ベストナイン2回の巧打者
22落合英二1年(1994)投手中日一筋のリリーバー
23金森隆浩3年(1995〜1997)投手投手から野手へ
24K.ジャービス1年(1998)投手メジャー通算34勝の右腕
25日笠雅人2年(1999〜2000)投手左のリリーバー
26岡本真也7年(2001〜2007)投手最優秀中継ぎ投手
※2008年は着用者なし(空き番号)
27清水昭信5年(2009〜2013)投手中日一筋のリリーバー
28田島慎二11年(2014〜2024)投手歴代最長11年の守護神

戦前〜戦後初期の系譜

高橋吉雄【初代・本塁打王】

1908年2月19日生/ドラフト制度前(1936年入団)

右投右打/内野手/プロ通算8年

背番号12の期間:1年(1936)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
249203.2341310629

※名古屋軍・イーグルス・黒鷲軍・大和軍時代を含む通算成績。

主なタイトル:本塁打王1回(1937年秋・6本)

初代の背番号12は、プロ野球創設期の1936年に在籍した日系選手のひとり、高橋吉雄だ。ハワイ出身で、ミッドパシフィック高からアメリカ本土のワシントン大に進み(中退)、ハワイ朝日を経て、球団創設初年度の名古屋軍に入団した。開幕戦では4番・ショートに座っている。名古屋軍でプレーしたのはこの1年のみで、翌1937年に後楽園イーグルスへ移籍すると、秋のシーズンに6本塁打で本塁打王に輝いた。その後は入営を挟みながら、球団名がイーグルス〜黒鷲軍〜大和軍と変わる中で1943年までプレーした強打者だった。

石丸藤吉【戦前の内野手】

1914年7月25日生/ドラフト制度前(1937年入団)

右投右打/内野手/プロ通算約5年

背番号12の期間:4年(1937・1941〜1943)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
326226.18514833

※名古屋軍・松竹ロビンス時代を含む通算成績。着用は1937年と1941〜1943年で、1938年は別の選手が着けた。

佐賀商から立教大、門司鉄道局を経て1937年に名古屋軍へ入団した二塁手。背番号12は1937年に一度着け、1938年をはさんで1941年から1943年まで再び背負った。弟は、戦時中に特攻隊員として戦死したことで知られる元プロ野球選手・石丸進一で、兄弟そろってグラウンドに立った野球一家だった。

倉本信護【戦前の捕手】

1913年6月9日生/ドラフト制度前

右投右打/捕手/プロ通算約4年

背番号12の期間:1年(1938)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
173114.20775110

※阪急・名古屋軍・金鯱軍時代を含む通算成績。

広陵中から呉工廠を経てプロ入りした捕手。阪急でプレーしたのち1937年秋に名古屋軍へ移り、1938年に背番号12を着けた。1年限りの着用で、その後は金鯱軍でもプレーした、戦前の球界を渡り歩いた捕手だった。

牧常一【1年限りの外野手】

1920年8月13日生/ドラフト制度前

右投右打/外野手/プロ通算約2年

背番号12の期間:1年(1939)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
315.167020

※名古屋軍(1939・1941)の通算成績。

一宮中出身の外野手で、1939年に背番号12を着けた。出場機会は多くなく、プロでの実働もわずかだったが、戦前の名古屋軍で番号を受け継いだ一人として系譜に名を残している。

鬼頭政一【強打の内野手】

1920年2月9日生/ドラフト制度前

右投右打/内野手・外野手/プロ通算約12年

背番号12の期間:1年(1940)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
713511.2391922052

※名古屋軍・ライオン軍・朝日軍・西鉄・近鉄時代を含む通算成績。

名古屋市出身で、日大三中からプロ入りした内野手。1940年に名古屋軍で背番号12を着けたが、この年の途中で、兄・鬼頭数雄が在籍したライオン軍へ移籍した。名古屋軍での出場は1試合のみで、着用も1年限り。兄の数雄は首位打者・盗塁王・最多安打を獲得した名選手で、のちに戦死している。政一自身は戦後も西鉄・近鉄でプレーを続け、1952年には近鉄で打率.320を記録するなど、長く現役を全うした。

星田次郎【戦後初期の主戦投手】

1919年9月22日生/ドラフト制度前(1946年入団)

右投右打/投手/プロ通算7年

背番号12の期間:7年(1946〜1952)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
13334353.322050

岡崎師範から国民学校の訓導(教員)を経て、1946年に中部日本(現・中日)へ入団した投手。戦前は1年ごとに着用者が入れ替わっていた背番号12を、戦後は星田が7年にわたって長く担った。1948年には15完投で10勝を挙げ、1951年にも10勝をマークするなど、戦後間もない時期の主戦投手として先発ローテーションを支えた。通算32完投という数字に、当時の投手の投げ抜くスタイルがよく表れている。

一柳忠尚【名古屋では出場なし】

1932年4月29日生/ドラフト制度前

右投右打/捕手/公式出場2年

背番号12の期間:1年(1953)

通算成績:16試合・16打数・1安打(打率.063/大洋時代)

瑞陵高出身の捕手で、1953年に名古屋で背番号12を着けたが、在籍時は一軍公式戦への出場がなかった。のちに大洋へ移り、1955年から2シーズン、一軍でわずかに出場している。着用者の系譜としては名を連ねるものの、名古屋での背番号12はグラウンドで披露される機会がないままだった。

小沢重光【1年限りの内野手】

1933年10月15日生/ドラフト制度前

右投右打/内野手/プロ通算3年

背番号12の期間:1年(1954)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
7820.225270

※名古屋(1952-53)・中日(1954)の通算成績。

岡崎高出身の内野手。1954年に背番号12を着けたが、同年に入団したルーキーの岡嶋博治とこの番号を分け合う形となり、翌1955年以降は岡嶋が受け継いだ。小沢自身はこの年限りでチームを去っている。

岡嶋博治【セ・リーグ盗塁王2回】

1935年5月5日生/ドラフト制度前(1954年入団)

右投右打/内野手/プロ通算14年

背番号12の期間:7年(1954〜1960)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
14501042.23989365220

※中日・阪急・サンケイ・東映時代を含む通算成績。

主なタイトル・表彰:盗塁王2回(1958・1959年)/オールスターゲーム出場1回(1957年)

立命館大を中退して1954年に中日へ入団した内野手。1956年に遊撃のレギュラーをつかむと、俊足を武器に頭角を現し、1958年に47盗塁、1959年に41盗塁でセ・リーグ盗塁王を2年連続で獲得した。背番号12の着用者としては初めて通算1000安打を超えた選手でもあり、まさに「走る背番号」の礎を築いた存在だ。1957年から3年連続でリーグ最多四球を選ぶ選球眼も持ち合わせていた。1961年、後述する河野旭輝との”盗塁王どうしの交換トレード”で阪急へ移籍し、以降も遊撃手・三塁手として長く現役を続けた。

昭和の系譜(1960〜80年代)

河野旭輝【両リーグ制覇の盗塁王】

1935年1月1日生/ドラフト制度前(1954年入団)

右投右打/内野手(遊撃手)/プロ通算14年

背番号12の期間:3年(1961〜1963)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
14911213.25493480293

※阪急・中日・西鉄時代を含む通算成績。

主なタイトル・表彰:盗塁王3回(1956・1957・1962年)/ベストナイン1回(1961年)

岡嶋博治と入れ替わる形で、1961年に中日へやってきたのが河野旭輝だ。この移籍は、阪急で盗塁王だった河野と、中日で盗塁王だった岡嶋との”盗塁王どうしの交換トレード”として知られる。河野は和歌山工から松下電器を経て阪急に入団し、1956年には当時の日本記録となる85盗塁(この記録は1972年に福本豊が破るまで破られなかった)、翌1957年にも56盗塁でパ・リーグ盗塁王に輝いた俊足の名手。中日移籍1年目の1961年には遊撃手としてベストナインを獲得し、1962年には26盗塁でセ・リーグ盗塁王も手にした。セ・パ両リーグで盗塁王を獲得したのは、プロ野球の歴史でも河野ただ一人である。走で球史に名を刻んだ選手が、3年間この番号を背負った。

牧田政彦【移籍してきた左腕】

1940年1月13日生/ドラフト制度前

左投左打/投手/プロ通算約8年

背番号12の期間:1年(1964)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
93353.871470

※阪急・中日時代を含む通算成績。

伊那北高出身の左腕。阪急でプレーしたのち1964年に中日へ移籍し、この年に背番号12を着けた。中日には1966年まで在籍したが、背番号12を着けたのは移籍初年度の1964年のみだった。

浜中祥和【俊足の内野手】

1938年1月14日生/ドラフト制度前

右投右打/内野手/プロ通算8年

背番号12の期間:2年(1965〜1966)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
58967.17011851

※大洋・中日時代を含む通算成績。

若狭高から立教大を経てプロ入りした内野手。大洋で5年プレーしたのち中日へ移り、1965年から2年間背番号12を着けた。打席数は多くないものの通算51盗塁を記録しており、守備固めや代走で足を生かした選手だった。走の系譜が続く背番号12らしい俊足の持ち主でもあった。

井手峻【東大出身の投手兼野手】

1944年2月13日生/1966年二次ドラフト3位

右投右打/投手・外野手/プロ通算10年

背番号12の期間:3年(1967〜1969)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
17145.18210
〈打撃成績〉
試合安打打率本塁打打点盗塁
35912.188120

※投手として着用したのち、外野手・代走へ転向した。

新宿高から東京大学に進み、1966年のドラフトで中日に指名された投手。ドラフト制度が始まって以降、東大から初めて指名を受けた選手であり、プロでは通算1勝・1本塁打を記録している。背番号12は投手として着けたが、のちに外野手・代走へ転向した。引退後は中日の球団代表や東京大学野球部の監督を務めるなど、球界と学生野球の双方で長く活動した人物である。

江島巧【長打力ある外野手】

1949年11月24日生/1967年ドラフト2位

右投右打/外野手/プロ通算16年

背番号12の期間:2年(1970〜1971)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1187473.2235621124

※中日・ロッテ時代を含む通算成績。

平安高から1967年ドラフト2位で入団した外野手(読みは「えじま・たくみ」)。中日では1970年から2年間背番号12を着けた。1973年にロッテへ移籍すると、長打力を生かして主力の一人として長く活躍し、実働16年のキャリアを重ねた。中日時代に背番号12を背負った長距離砲だった。

飯田幸夫【7年背負ったユーティリティ】

1947年4月9日生/1965年ドラフト4位

右投右打/内野手・外野手/プロ通算15年

背番号12の期間:7年(1972〜1978)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
828337.2243713241

※近鉄・中日・横浜大洋時代を含む通算成績。

横浜高では、阿天坊俊明・藤田平と並んで「高校遊撃手の三羽ガラス」と称された内野手。近鉄でプレーしたのち中日へ移り、1972年から1978年まで7年間、背番号12を着け続けた。内外野をこなすユーティリティプレーヤーとして重宝され、戦後の星田、そして岡嶋に続いて、この番号を長く担った選手となった。

高橋三千丈【ドラ1右腕】

1956年11月10日生/1978年ドラフト1位

右投右打/投手/プロ通算6年

背番号12の期間:6年(1979〜1984)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
60664.92712

静岡商から明治大に進み、1978年のドラフト1位で中日に入団した右腕(読みは「たかはし・みちたけ」)。ルーキーイヤーの1979年に43試合5勝と好スタートを切り、背番号12を1984年まで6年間背負った。以降は登板機会が減ったが、中日一筋で現役を全うした。飯田に続いてこの番号を長めに着用し、1980年代へと系譜をつないだ。

平成の系譜(1980〜2000年代)

劔持貴寛【晩年に着けた俊足の外野手】

1953年5月16日生/1971年ドラフト2位

右投右打/捕手・外野手/プロ通算8年

背番号12の期間:1年(1985)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
462173.24464437

※広島・ロッテ・中日時代を含む通算成績。

岡山日大高から1971年ドラフト2位で広島に入団した捕手。ロッテ時代の1982年には105試合に出場するなど、正捕手級の働きを見せた。1985年に中日へ移籍すると、現役最終年となるこの年に外野手として背番号12を着け、71試合に出場した。通算37盗塁を記録した、足のある選手でもあった。

斉藤学【ドラ1右腕】

1963年8月12日生/1985年ドラフト1位

右投右打/投手/プロ通算11年

背番号12の期間:3年(1986〜1988)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
1357105.531043

※中日・福岡ダイエー時代を含む通算成績。

下妻一高から青山学院大を経て、1985年ドラフト1位で中日入りした右腕(読みは「さいとう・まなぶ」)。中日では1986年から3年間背番号12を着けたが登板機会は限られ、のちに福岡ダイエーへ移って中継ぎとして投げた。

義信(陳義信)【台湾球界の大投手】

1963年8月15日生/ドラフト外(1989年入団)

右投右打/投手/NPB通算2年

背番号12の期間:2年(1989〜1990)

通算成績(NPB)

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
21315.90210

※上記は中日時代(1989〜1990年)のNPB成績。このほか台湾リーグでの成績は本文に記す。

台湾・花蓮県出身の投手で、中日での登録名は「義信」。NPBで登録名を下の名前にした初めてのアジア人選手でもある。1989年に来日し、救援登板で3勝を挙げたが、1990年限りで退団して帰国した。むしろ本領を発揮したのは母国に戻ってからで、1991年に創設まもない中華職業棒球聯盟(CPBL)の兄弟エレファンツに入団すると、球団の黄金時代を支えるエースへと成長する。1992年に16勝、1994年に22勝でCPBL最多勝に2度輝き、1993年には最優秀防御率、同年と1994年には最優秀選手賞(MVP)を連続受賞した。CPBLとその後のTMLを合わせた台湾リーグ通算141勝は、2019年に更新されるまで長く台湾最多勝記録であり続けた。引退後は政界に転じ、1998年には脱税で起訴されたこともあった。近年は台湾の原住民族委員会の要職も務めている。中日での2年間は短かったが、その後に台湾球史へ名を刻んだ大投手である。

石本貴昭【近鉄の抑えだった左腕】

1962年12月24日生/1980年ドラフト1位

左投左打/投手/プロ通算11年

背番号12の期間:2年(1991〜1992)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
26735194.0431348

※近鉄・中日時代を含む通算成績。着用は1991〜1992年で、一軍登板は1991年のみ。

主なタイトル:最優秀救援投手2回(1985・1986年)/最高勝率1回(1985年)

滝川高から1980年ドラフト1位で近鉄に入団した左腕。近鉄の抑えとして君臨し、1985年には救援だけで19勝3敗を挙げて最高勝率と最優秀救援投手の二つのタイトルを獲得、翌1986年も32セーブで2年連続の最優秀救援投手に輝いた。中日へは1991年に移籍して背番号12を着けたが、酷使の影響もあって一軍登板は同年の4試合にとどまり、翌1992年は一軍で投げることなくキャリアを終えた。全盛期の輝きを近鉄で残した、記憶に残るリリーバーだった。

横田真之【ベストナイン2回の巧打者】

1962年11月26日生/1984年ドラフト4位

右投左打/外野手/プロ通算11年

背番号12の期間:1年(1993)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
917727.27938239108

※ロッテ・中日・西武時代を含む通算成績。

主なタイトル・表彰:ベストナイン2回(1985・1986年)

明徳高から駒沢大を経て、1984年ドラフト4位でロッテに入団した外野手。ルーキーイヤーの1985年から2年連続で打率3割を記録し、外野手部門でベストナインを2度受賞した。新人から2年連続の3割は、長嶋茂雄以来史上2人目の快挙だった。1993年に中日へ移籍してこの年に背番号12を着け(翌1994年は背番号7)、俊足巧打の外野手として通算108盗塁を刻んだ。長男は元阪神の横田慎太郎である。

落合英二【中日一筋のリリーバー】

1969年7月25日生/1991年ドラフト1位

右投右打/投手/プロ通算14年

背番号12の期間:1年(1994)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
46337453.2939324

※中日一筋(1993〜2006年)の通算成績。

作新学院から日本大を経て、1991年ドラフト1位で中日に入団した右腕(読みは「おちあい・えいじ」)。背番号12を着けたのは2年目の1994年のみで、以降は別の番号でプレーした。中継ぎ・抑えとして中日一筋14年にわたって投げ続け、2003年には61試合に登板して防御率1.77と好成績を残した。引退後は中日の投手コーチや二軍監督などを歴任している。

金森隆浩【投手から野手へ】

1972年8月12日生/1994年ドラフト1位

右投右打/投手・外野手

背番号12の期間:3年(1995〜1997)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
20121.0020

耐久高から立命館大を経て、1994年ドラフト1位で中日入りした右腕。背番号12を3年間着けたが、投手としての一軍登板は1996年の2試合にとどまった。その後は打撃を見込まれて外野手へと転向した、異色のキャリアを歩んだ選手である。

K.ジャービス(KEVIN JARVIS)【メジャー通算34勝の右腕】

1969年8月1日生/MLBドラフト1991年21巡目

右投左打/投手/MLB通算12年

背番号12の期間:1年(1998)

通算成績

〈投手成績〉
区分登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
NPB4124.4170
MLB38834496.034531

※日本(中日・1998年)と、メジャーリーグ(1994〜2006年)の成績を分けて記載。

アメリカ・ケンタッキー州出身の投手。ウェイクフォレスト大からシンシナティ・レッズに入団し、メジャーで実績を積んだのちに、1998年に中日へやってきた。しかし来日後は4試合の登板で結果を残せず、同年5月に退団してアメリカへ戻っている。メジャーでは10球団を渡り歩きながら通算12年で34勝を挙げ、2001年にはサンディエゴ・パドレスで自己最高の12勝をマークした。息子のブライス・ジャービスも2023年にメジャーへ到達している。中日での在籍はごく短いものだったが、日米通算400試合近くに登板したベテラン右腕だった。

日笠雅人【左のリリーバー】

1970年8月19日生/1995年ドラフト7位

左投右打/投手/プロ通算7年

背番号12の期間:2年(1999〜2000)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
86323.89650

※中日・福岡ダイエー時代を含む通算成績。

旭川龍谷高から新日鉄君津を経て、1995年ドラフト7位で中日に入団した左腕(読みは「ひがさ・まさひと」)。中日での主な登板は1996年から1998年で、とくに1998年は46試合に投げて防御率1.87と好投した。背番号12を着けた1999〜2000年は登板機会が限られ、のちに福岡ダイエーへ移籍した。

岡本真也(岡本慎也・岡本真或)【最優秀中継ぎ投手】

1974年10月21日生/2000年ドラフト4位

右投右打/投手/プロ通算11年

背番号12の期間:7年(2001〜2007)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
35732193.214212

※中日・埼玉西武時代を含む通算成績。

主なタイトル:最優秀中継ぎ投手1回(2004年)

京都府京丹後市出身で、社会人野球を経て2000年ドラフト4位で中日に入団した右腕。現役中に登録名を何度か変えており、中日時代は「岡本真也」、のちに移籍先で「岡本慎也」「岡本真或」を名乗った(読みはいずれも「おかもと・しんや」)。先発と中継ぎを兼ねていたが、2004年に中継ぎへ専念すると一気に開花。63試合に登板して防御率2.03、9勝を挙げ、最優秀中継ぎ投手のタイトルとオールスター初出場を果たした。以降も岩瀬仁紀へつなぐ勝ちパターンの中継ぎとして、中日の2004年・2006年のリーグ優勝、2007年の日本一を支えた。7年間背負った背番号12は、この時代の中日中継ぎ陣を象徴する番号でもあった。2007年オフ、和田一浩の人的補償で埼玉西武へ移籍している。

2010年代以降の系譜

清水昭信【中日一筋のリリーバー】

1983年10月26日生/2006年大学生・社会人ドラフト6位

右投右打/投手/プロ通算6年

背番号12の期間:5年(2009〜2013)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
71343.90950

※中日一筋の通算成績。着用は2009〜2013年で、一軍登板があったのは2009・2010・2013年。

三重高から名城大を経て、2006年ドラフト6位で中日に入団した右腕(読みは「しみず・あきのぶ」)。2008年に一軍デビューを果たすと、翌2009年から背番号12を着けた。もっとも登板が多かったのは2010年の44試合で、中継ぎとして起用された。故障などもあって2011・2012年は一軍登板がなく、5年間背負ったこの番号を2013年限りで後進へと譲った。

田島慎二【歴代最長11年の守護神】

1989年12月21日生/2011年ドラフト3位

右投右打/投手/プロ通算13年

背番号12の期間:11年(2014〜2024)

通算成績

〈投手成績〉
登板勝利敗北防御率奪三振セーブ
46225413.6243875

※中日一筋の通算成績。

中部大一高から東海学園大を経て、2011年ドラフト3位で中日に入団した右腕。2014年から背番号12を着けると、抑えやセットアッパーとしてブルペンを支え、2017年には自己最多の34セーブをマークした。この番号を実に11年間着け続けた。これは歴代の背番号12着用者のなかで最長である。戦前に1年ごとで替わっていたこの番号を、10年以上ひとりで背負い抜いたことになる。2024年限りで現役を引退し、2025年からはコーチ(背番号98)としてチームに残った。田島の引退により、背番号12は2025年から空き番号となっている。

全員の通算成績(フルキャリア合計)

打撃成績(14人合計)

試合安打打率本塁打打点盗塁
88535123.2393631925898

投手成績(投手陣14人合計)

登板勝利敗北セーブ奪三振投球回防御率
217119019415423033548.03.74

※各選手のプロ通算成績(中日以外の所属球団もすべて含む合計)。外国リーグ(ジャービスのメジャー、陳義信の台湾リーグ)の成績は含めず、日本での成績のみを合計に算入している。井手峻は投手・野手の両方でプレーしたため、それぞれの合計に含めた。打率は総安打÷総打数、防御率は総自責点×9÷総投球回で算出。中日在籍時に一軍出場のなかった一柳忠尚は合計から除いている。

まとめ

中日ドラゴンズの背番号12は、球団創設の1936年に本塁打王の高橋吉雄が初代として着けて以来、90年近くにわたって28人が受け継いできた。戦前は1年ごとに着用者が替わっていたが、戦後になると星田次郎が7年間この番号でマウンドに上がり、続く時代には岡嶋博治と河野旭輝という2人の盗塁王が”盗塁王どうしの交換トレード”でこの番号を引き継いだ。とりわけ河野は、セ・パ両リーグで盗塁王を獲得したプロ野球史上唯一の選手であり、背番号12はこうして「走る背番号」の色合いを帯びていった。

飯田幸夫の7年を経て、平成に入るとこの番号は救援投手の指定席のようになっていく。岡本真也が最優秀中継ぎ投手として中日の黄金期を支え、そして田島慎二が歴代最長となる11年間、抑えとしてこの番号を背負い抜いた。田島が2024年限りで引退したことで、背番号12は2025年から空き番号となっている。走の名手から鉄腕のリリーバーまで、多彩な顔ぶれが受け継いできたこの番号を、次に託されるのは誰だろうか。

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