背番号「5」は、中日ドラゴンズの歴史のなかで、主砲やレギュラー格の野手が数多く受け継いできた番号だ。球団創設の1936年から現在まで、この番号を背負ったのは24人。プロ野球公式戦で最初の勝利投手となったノースに始まり、投手から球団屈指の主砲へと転じた西沢道夫、豪打の外野手・葛城隆雄、本塁打王の大島康徳、そして日米通算2000安打の和田一浩まで——歴代の顔ぶれには、打の中心を担った名選手がずらりと並ぶ。本記事では、歴代24人の在籍期間・通算成績・獲得タイトルを、NPB公式記録をもとにひとりずつ辿っていく。
中日ドラゴンズ 歴代背番号5 一覧
| 代 | 選手名 | 背番号5の期間 | ポジション | ひとこと |
|---|---|---|---|---|
| 1 | ノース | 1年(1936) | 投手 | プロ野球初の勝利投手 |
| 2 | 岩田次男 | 1年(1937) | 内野手 | プロ野球初の満塁本塁打 |
| 3 | 西沢道夫 | 1年(1937) | 投手 | 投手から主砲へ/殿堂入り |
| 4 | 白木一二 | 1年(1938) | 外野手 | 戦前の4番打者 |
| 5 | 加藤正二 | 4年(1939・1943・1946〜1947) | 外野手 | 1943年の本塁打王 |
| 6 | 近藤貞雄 | 5年(1948〜1952) | 投手 | のち名将/殿堂入り |
| 7 | 木下貞一 | 2年(1953〜1954) | 外野手 | 投手から野手へ |
| 8 | 伊藤庄七 | 1年(1955) | 外野手 | 初代日本一の立役者 |
| 9 | 丹羽一幸 | 1年(1956) | 内野手 | 地元・岡崎工出身 |
| 10 | 加藤進 | 2年(1957〜1958) | 捕手 | 慶応大主将の名捕手 |
| 11 | 片岡宏雄 | 2年(1959〜1960) | 捕手 | のち名スカウト |
| 12 | 小淵泰輔 | 2年(1961〜1962) | 内野手 | 移籍後に打率3割 |
| 13 | ニーマン | 1年(1963) | 外野手 | 元メジャーの強打者 |
| 14 | 葛城隆雄 | 6年(1964〜1969) | 外野手 | 打点王2回の豪打 |
| 15 | バビー | 1年(1970) | 外野手 | 1年で退団 |
| 16 | 日野茂 | 1年(1971) | 内野手 | 社会人経由の内野手 |
| 17 | ウィリアム | 2年(1973〜1974) | 外野手 | スイッチヒッター |
| 18 | 神垣雅行 | 2年(1975〜1976) | 内野手 | 近大出身の内野手 |
| 19 | 大島康徳 | 11年(1977〜1987) | 外野手 | 本塁打王/2000安打 |
| 20 | 仁村徹 | 8年(1988〜1995) | 内野手 | 優勝に貢献した主力 |
| 21 | 渡邉博幸 | 12年(1996〜2007) | 内野手 | 守備職人/GG賞 |
| 22 | 和田一浩 | 8年(2008〜2015) | 外野手 | 日米通算2000安打・MVP |
| 23 | 阿部寿樹 | 7年(2016〜2022) | 内野手 | “マスター”の愛称 |
| 24 | 村松開人 | 4年目(2023〜現在) | 内野手 | 現在の背番号5 |
戦前〜戦後初期の系譜
ノース【プロ野球初の勝利投手】
1910年1月20日生/ドラフト制度前(1936年入団)
右投右打/投手/プロ通算1年
背番号5の期間:1年(1936)
通算成績
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 12 | 2 | 5 | 6.52 | 26 | 0 |
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 12 | 4 | .148 | 0 | 1 | 0 |
記念すべき初代の背番号5は、ハワイ出身の投手ノース。名古屋軍が創設された1936年に、バッキー・ハリスらとともに外国人選手として入団した。同年4月29日、プロ野球公式戦の記念すべき最初の試合でリリーフ登板し、そのままプロ野球史上初の勝利投手となっている。制球に苦しみ日本での生活にもなじめず、在籍はこの1年だけだったが、球史の最初のページに名を刻んだ選手として、この系譜の出発点に立っている。
岩田次男【プロ野球初の満塁本塁打】
1915年11月6日生/ドラフト制度前(1936年入団)
右投右打/内野手/プロ通算約6年
背番号5の期間:1年(1937)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 241 | 159 | .204 | 5 | 59 | 23 |
名古屋三商から早稲田大を経て、1936年の名古屋軍創設メンバーとして入団した内野手。1936年9月23日、名古屋金鯱軍戦でプロ野球史上初の満塁本塁打を放ったことで球史に名を残している。中日での背番号5着用は1937年で、その後はセネタース、朝日へと移り、1942年に兵役のため現役を退いた。時代に翻弄されながらも、記録の“初物”を持つ選手である。
西沢道夫【投手から主砲へ/殿堂入り】
1921年9月1日生/ドラフト制度前(1937年入団)
右投右打/投手・内野手/プロ通算約20年
背番号5の期間:1年(1937)
通算成績
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 231 | 60 | 65 | 2.23 | 404 | 0 |
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 1704 | 1717 | .286 | 212 | 940 | 56 |
主なタイトル:首位打者1回/最多打点1回/ベストナイン3回(1950・1952・1954年)
背番号5の系譜のなかでも、屈指の大選手が西沢道夫だ。名古屋軍のテスト生として14歳でプロ入りし、当初は本格派投手として頭角を現した。背番号5を着けたのは投手時代の1937年。1942年には28回を完投する伝説的な熱投も残している。戦後は打者に本格転向すると、球団を代表する主砲へと変貌。首位打者や打点王を獲得し、通算212本塁打・1717安打を積み上げた。引退後は中日の監督も務め、その功績から野球殿堂入りを果たしている。二刀流でキャリアを駆け抜けた、球団史に残るレジェンドである。
白木一二【戦前の4番打者】
1915年11月3日生/ドラフト制度前(1937年入団)
右投右打/外野手/プロ通算約2年
背番号5の期間:1年(1938)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 150 | 122 | .247 | 2 | 66 | 8 |
滝川中から國學院大を経て、1937年に名古屋軍へ入団した外野手。182cm71kgという当時としては大柄な体格を活かし、シュアな打撃でチームの4番も任された。選球眼にも優れた好打者だったが、戦争のため現役生活は長く続かず、若くしてこの世を去っている。戦前の名古屋軍を支えた打者のひとりである。
加藤正二【1943年の本塁打王】
1914年3月3日生/ドラフト制度前(1939年入団)
右投右打/外野手・投手/プロ通算約9年
背番号5の期間:4年(1939・1943・1946〜1947)
通算成績
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 799 | 752 | .271 | 57 | 364 | 62 |
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 2 | 0 | 0 | 6.00 | 0 | 0 |
主なタイトル:本塁打王1回(1943年・4本)
高松商から中央大に進み、1939年に名古屋軍へ入団した強打の外野手。入営による中断を挟みながらも、復帰した1943年には4本塁打で本塁打王に輝いた。投高打低の時代を象徴する数字で番号を背負った打者である。1944年には投手としても2試合登板している。戦後は大映などでもプレーし、引退後は中央大学の監督として教え子を育てた。飛び飛びながら背番号5を長く着けた、戦中戦後の主力打者だった。
昭和の主軸(1950〜60年代)の系譜
近藤貞雄【のち名将/殿堂入り】
1925年10月2日生/ドラフト制度前(選手は1943年入団)
右投右打/投手/プロ通算約9年
背番号5の期間:5年(1948〜1952)
通算成績
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 222 | 55 | 71 | 2.91 | 274 | 0 |
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 292 | 145 | .234 | 1 | 50 | 14 |
岡崎中出身の投手で、西鉄・巨人を経て中日に在籍した。1946年には巨人で23勝を挙げる活躍を見せたが、その後に負傷し、中日では背番号5を着けてプレーした。むしろその名を球史に残したのは指導者としてで、現在では一般的な「投手分業制」をいち早く導入した理論派として知られる。監督としては1982年に中日をリーグ優勝へ導き、大洋や日本ハムでも指揮を執った。選手・コーチ・監督と異なる立場でチームを支え、その功績から野球殿堂入りを果たしている。
木下貞一【投手から野手へ】
1919年3月20日生/ドラフト制度前(1941年入団)
右投右打/外野手・投手/プロ通算約4年
背番号5の期間:2年(1953〜1954)
通算成績
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 201 | 104 | .234 | 1 | 39 | 10 |
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 17 | 4 | 5 | 1.80 | 18 | 0 |
東邦商出身で、旧姓は松本。1941年に阪神軍へ投手として入団し、翌年からは内野手としての出場が増えた。戦後は社会人を経て、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団しプロ復帰。登録は外野手となり、主に代打として活躍した。投手・野手の両方を経験した、時代をまたいで戦った選手である。
伊藤庄七【初代日本一の立役者】
1918年3月20日生/ドラフト制度前(1950年入団)
右投右打/外野手/プロ通算6年
背番号5の期間:1年(1955)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 482 | 372 | .256 | 25 | 173 | 52 |
中京商から明治大などを経て、1950年に毎日オリオンズへ入団した外野手。1年目からチームのパ・リーグ優勝に貢献し、松竹ロビンスとの第1回日本シリーズでは全6試合に出場、第1戦では決勝の2点適時打を放って初代日本一の立役者となった。1951年には打率3割をマークし正右翼手に定着。東急・東映を経て、1955年に中日で背番号5を着け、同年限りで現役を退いた。プロ黎明期を彩った好打の外野手である。
丹羽一幸【地元・岡崎工出身】
1934年5月18日生/ドラフト制度前(1953年入団)
右投右打/内野手/プロ通算5年
背番号5の期間:1年(1956)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 140 | 43 | .202 | 0 | 11 | 1 |
地元・岡崎工から1953年に入団した内野手(NPB公式の登録名は「丹羽 一幸」)。入団数年目に背番号5を着けた。一軍での出場機会は限られたが、名古屋・中日一筋で5年間プレーした地元出身の選手である。
加藤進【慶応大主将の名捕手】
1923年9月24日生/ドラフト制度前(1949年入団)
右投右打/捕手/プロ通算約9年
背番号5の期間:2年(1957〜1958)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 394 | 167 | .217 | 7 | 86 | 24 |
愛知一中から慶応大に進み、主将を務めた名捕手。1949年に中日へ入団した。正捕手・野口明の存在もあり、外野手として起用された時期もある。1957年から背番号5を着用したが、1958年はコーチとしての着用となった。学徒出陣で最後の早慶戦に出場した世代でもあり、のちに映画のモデルにもなった。2023年に100歳で亡くなるまで、球史の生き証人であり続けた。
片岡宏雄【のち名スカウト】
1936年6月15日生/ドラフト制度前(1959年入団)
右投右打/捕手/プロ通算5年
背番号5の期間:2年(1959〜1960)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 29 | 2 | .167 | 0 | 0 | 0 |
浪華商から立教大に進み、長嶋茂雄や杉浦忠らと同時代にプレーした捕手。1959年に中日へ入団し背番号5を着けたが、一軍の壁は厚く、国鉄へ移籍した。むしろ本領を発揮したのは引退後で、ヤクルトのスカウトとして古田敦也や高津臣吾らを見出した“名スカウト”として知られる。プレーヤーとしてより、その眼力で球史に名を残した人物である。
小淵泰輔【移籍後に打率3割】
1935年1月9日生/ドラフト制度前(1957年入団)
右投右打/内野手/プロ通算13年
背番号5の期間:2年(1961〜1962)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1063 | 605 | .248 | 82 | 302 | 80 |
三池工から社会人を経て、1957年に西鉄ライオンズへ入団した内野手。西鉄では準レギュラーとしてリーグ3連覇に貢献した。中日には1961年から在籍し背番号5を着用。その後移籍した国鉄では1964年に打率.306・15本塁打とキャリアハイを記録した。1960年にはサイクル安打も達成している。息の長い活躍を見せた中堅内野手である。
1960〜80年代の系譜
ニーマン【元メジャーの強打者】
1927年1月26日生/ドラフト制度前(1963年入団)
右投右打/外野手/プロ通算1年(NPB)
背番号5の期間:1年(1963)
通算成績(NPB)
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 110 | 107 | .301 | 13 | 53 | 1 |
メジャーリーグで長く活躍した強打の外野手。デビュー戦で2打席連続本塁打を放った逸話を持つ実力者で、ブラウンズやオリオールズなど複数球団を渡り歩いた後、1963年に中日へ来日した。日本では1年のみの在籍だったが、打率.301・13本塁打とその実力の片鱗を示した。番号5に名を連ねた、実績あるメジャー経験者である。
葛城隆雄【打点王2回の豪打】
1936年12月21日生/ドラフト制度前(1955年入団)
右投右打/外野手・内野手/プロ通算16年
背番号5の期間:6年(1964〜1969)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1787 | 1745 | .278 | 174 | 860 | 108 |
主なタイトル:打点王2回(1958・1959年)/ベストナイン2回(1958・1959年)
毎日オリオンズで頭角を現し、山内一弘や榎本喜八らとともに「ミサイル打線」の5番を担った豪打の選手。1958年・1959年には2年連続で打点王とベストナインを獲得している。1957年には史上最年少級のサイクル安打も達成した。1964年に交換トレードで中日へ移籍すると、6年にわたって背番号5を着用し、強肩の外野手として活躍した。背番号5の系譜のなかでも屈指の勝負強い打者である。
バビー【1年で退団】
1941年9月15日生/ドラフト制度前(1970年入団)
右投左打/外野手/プロ通算1年
背番号5の期間:1年(1970)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 93 | 52 | .188 | 9 | 31 | 6 |
ドジャース傘下からやってきた外国人外野手。1970年に中日で背番号5を着けたが、期待された打撃は振るわず打率.188にとどまり、1年で退団した。短い在籍ながら、番号5の歴史に名を連ねた助っ人である。
日野茂【社会人経由の内野手】
1945年1月11日生/1967年ドラフト外(1968年入団)
右投右打/内野手/プロ通算7年
背番号5の期間:1年(1971)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 215 | 51 | .198 | 4 | 18 | 9 |
県立船橋高から中央大、松下電器を経て1968年に中日へ入団した内野手。1971年に背番号5を着用した。その後は西鉄・太平洋へ移り、一時レギュラーも務めた。引退後は横浜などで二軍監督やコーチを歴任し、指導者として長く球界に関わった。
ウィリアム【スイッチヒッター】
1946年5月3日生/ドラフト制度前(1973年入団)
右投両打/外野手/プロ通算2年
背番号5の期間:2年(1973〜1974)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 213 | 163 | .249 | 14 | 65 | 17 |
与那嶺要監督らに見出され、1973年に中日へ入団した両打ちの外野手。クリーンナップを任されたが粗さも目立ち、2年間の在籍で退団した。スイッチヒッターとして番号5を背負った助っ人である。
神垣雅行【近大出身の内野手】
1952年4月2日生/1974年ドラフト2位(1975年入団)
右投右打/内野手/プロ通算6年
背番号5の期間:2年(1975〜1976)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 89 | 22 | .232 | 1 | 10 | 2 |
北陽高から近畿大を経て、1974年のドラフト2位で中日へ入団した内野手。入団直後の1975年から背番号5を着用した。一軍出場は限られたが、中日一筋でプレーした内野手である。
大島康徳【本塁打王/2000安打】
1950年10月16日生/1968年ドラフト3位(1969年入団)
右投右打/外野手・内野手/プロ通算24年
背番号5の期間:11年(1977〜1987)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2638 | 2204 | .272 | 382 | 1234 | 88 |
主なタイトル:本塁打王1回(1983年)
背番号5を最も長く、11年にわたって着け続けた右の強打者。中日の中軸として1974年・1982年のリーグ優勝に貢献し、1983年には36本塁打で本塁打王に輝いた。1988年に日本ハムへ移籍後も打棒は衰えず、1990年には史上最年長(当時)での通算2000安打を達成、名球会入りを果たしている。通算2204安打・382本塁打という数字は球団史に燦然と輝く。引退後は日本ハムの監督も務めた、番号5を代表するレジェンドである。
平成〜現在の系譜
仁村徹【優勝に貢献した主力】
1961年12月26日生/1983年ドラフト2位(1984年入団)
右投右打/内野手・投手/プロ通算14年
背番号5の期間:8年(1988〜1995)
通算成績
| 〈打撃成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 1068 | 820 | .273 | 67 | 344 | 25 |
| 〈投手成績〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | セーブ |
| 1 | 1 | 0 | 0.00 | 0 | 0 |
上尾高・東洋大では投手として鳴らし、1983年のドラフト2位で中日へ入団。プロでは打者に転向し、1988年から背番号5を着けた。同年のリーグ優勝に兄・仁村薫とともに貢献し、1987年にはレギュラーとして規定打席にも到達している。捕手を除く全ポジションで出場したユーティリティー性も持ち味だった。引退後は中日や楽天で二軍監督・コーチを歴任し、現在も球団の編成部門を支えている。なお、プロ初登板初勝利を記念登板で飾ったエピソードから、投手成績もわずかに残している。
渡邉博幸【守備職人/GG賞】
1970年6月29日生/1995年ドラフト4位(1996年入団)
右投右打/内野手・外野手/プロ通算12年
背番号5の期間:12年(1996〜2007)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 859 | 313 | .269 | 11 | 123 | 5 |
主なタイトル:ゴールデングラブ賞1回(2004年)
日本大・三菱自動車川崎を経て、1995年のドラフト4位で入団した内野手。背番号5を12年と長く着用した。内外野をこなすユーティリティープレーヤーとして重宝され、2004年には「守りの野球」を掲げる落合博満監督のもとで一塁手として起用され、ゴールデングラブ賞を受賞、優勝に貢献した。派手さはないが堅実な守備でチームを支えた、いぶし銀の職人である。引退後もコーチとして中日に貢献している。
和田一浩【日米通算2000安打・MVP】
1972年6月19日生/1996年ドラフト4位(1997年入団)
右投右打/外野手・捕手/プロ通算19年
背番号5の期間:8年(2008〜2015)
通算成績
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1968 | 2050 | .303 | 319 | 1081 | 76 |
主なタイトル:最優秀選手(MVP)1回(2010年)/首位打者1回(2005年)/最多安打1回(2005年)/最高出塁率1回(2010年)/ベストナイン6回(2002・2003・2004・2005・2006・2010年)/ゴールデングラブ賞1回(2002年)
「遅咲きのスラッガー」として知られる好打者。社会人を経て捕手として西武に入団し、外野手転向後にレギュラーの座をつかんだ。2005年に首位打者を獲得すると、2008年にFAで地元・中日へ移籍し背番号5を着用。2010年には打率.339・37本塁打の活躍で自身初のMVPに輝き、チームを優勝へ導いた。2015年には史上最年長での2000安打を達成し、名球会入り。通算打率.303・2050安打を残した右打者屈指の名打者で、アテネ五輪銅メダル・WBC優勝も経験している。背番号5の系譜の掉尾を飾るにふさわしいレジェンドである。
阿部寿樹【“マスター”の愛称】
1989年12月3日生/2015年ドラフト5位(2016年入団)
右投右打/内野手・外野手/現役(2025年終了時/記録更新中)
背番号5の期間:7年(2016〜2022)
通算成績(2025年シーズン終了時)
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 706 | 569 | .255 | 51 | 267 | 9 |
明治大・ホンダを経て、26歳の“オールドルーキー”として2016年に中日へ入団した内野手。2019年に二塁の定位置をつかむと、背番号5を着けて堅実な守備と勝負強い打撃で中軸を支えた。口ひげを蓄えた風貌から「マスター」の愛称で親しまれた。2022年オフに楽天へ移籍したが、2026年に古巣・中日へ復帰している(復帰後の背番号は48)。2026年現在は頼れる代打の切り札として活躍している。
村松開人【現在の背番号5】
2001年1月6日生/2022年ドラフト2位(2023年入団)
右投左打/内野手/現役(2025年終了時/記録更新中)
背番号5の期間:4年目(2023〜現在)
通算成績(2025年シーズン終了時)
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|---|
| 261 | 187 | .233 | 4 | 55 | 6 |
静岡高から明治大を経て、2022年のドラフト2位で入団した内野手。2023年から現在の背番号5を背負っている。シュアな打撃と高い守備力が持ち味で、開幕スタメンをつかんだシーズンもある。大島康徳や和田一浩といった歴代の主力が受け継いできた番号を託された若武者として、これからの飛躍が期待される。系譜の“現在地”を担う存在である。
背番号5 歴代24人の通算成績 合計
ここまで見てきた歴代24人の通算成績を合計すると、次のようになる。
| 〈打撃成績 合計(24人)〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 安打 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
| 15,514 | 12,475 | .271 | 1,441 | 6,232 | 682 |
| 〈投手成績 合計(登板5人)〉 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 登板 | 勝利 | 敗北 | 防御率 | 奪三振 | 投球回 |
| 254 | 62 | 81 | 3.01 | 318 | 1376.1 |
通算1万2千安打超え・1441本塁打という数字は、この番号がいかに打の中心を担う選手に受け継がれてきたかを物語っている。西沢道夫・葛城隆雄・大島康徳・和田一浩と、本塁打も打てる主軸打者が時代ごとに背番号5を背負ってきた系譜である。
※通算成績は各選手のプロ通算(中日以外の所属球団もすべて含む合計)。ニーマンはNPBでの記録。現役の選手は2025年シーズン終了時点で固定しており、記録は更新中。打率は単純平均ではなく「総安打÷総打数」、防御率は「自責点×9÷投球回」で算出。着用期間は各選手が背番号5を着けていた年で、飛びがある場合は実着用年で表記。
まとめ
中日ドラゴンズの背番号5は、球団創設のノースに始まり、投手から主砲へ転じた西沢道夫、豪打の葛城隆雄、本塁打王・大島康徳、そして日米を沸かせた和田一浩へと受け継がれてきた。殿堂入り2人、タイトルホルダーを多く輩出したこの番号は、まさに「打の系譜」と呼ぶにふさわしい。現在この番号を背負う村松開人が、先人たちに続く新たな一章をどう刻んでいくのか——背番号5の物語は、いまも続いている。


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