試合結果 DeNA 1 - 5 中日 勝:橋本 敗:宮城
本日試合なし

背番号「6」の系譜

背番号の系譜

背番号「6」は、中日ドラゴンズでは強打の内野手や守備の名手が数多く背負ってきた、味のある番号だ。球団創設の1936年から現在まで、この番号を託されたのは21人。史上唯一の三冠王3回を誇る落合博満をはじめ、鉄壁の二遊間で鳴らした井端弘和、遊撃でダイヤモンドグラブ賞を獲った助っ人バート、投手兼捕手として最多勝に輝いた野口明——と、その顔ぶれは実に多彩だ。本記事では、歴代21人の在籍期間・通算成績・獲得タイトルを、NPB公式記録をもとにひとりずつ辿っていく。

中日ドラゴンズ 歴代背番号6 一覧

選手名背番号6の期間ポジションひとこと
1ハリス1936捕手初代背番号6
2芳賀直一1937〜1943内野手創設期のレギュラー
3山本尚敏1946〜1948外野手快足の外野手
4野口明1949〜1954捕手投手兼捕手/最多勝
5河合保彦1957〜1958捕手初優勝を支えた捕手
6今津光男1959〜1961内野手114盗塁の快足内野手
7高木時夫1961〜1962捕手木俣の前の捕手
8マーシャル1963〜1965内野手元大リーガーの主砲
9広野功1966〜1967外野手強打の外野手
10日野茂1968〜1970内野手昭和40年代の内野手
11バート1971内野手遊撃で守備の名誉賞
12江島巧1972捕手のちロッテの捕手
13井上弘昭1973〜1980外野手“ポパイ”/74年V戦士
14正岡真二1981〜1984内野手中日一筋の内野手
15上川誠二1985〜1986内野手落合トレードの一人
16落合博満1987〜1993内野手史上唯一の三冠王3回
17金村義明1995〜1996内野手近鉄の主砲
18久慈照嘉1998〜2002内野手新人王/平成の牛若丸
19井端弘和2003〜2013内野手アライバの遊撃手
20平田良介2014〜2022外野手ベストナイン&GGの外野手
21中田翔2024〜2025内野手打点王3回のスラッガー

戦前〜戦後初期の系譜

ハリス【初代背番号6】

1908年9月25日生/ドラフト制度前(1936年入団)

右投右打/捕手/プロ通算2年

背番号6の期間:1年(1936)

通算成績

〈打撃成績〉
試合安打打率本塁打打点盗塁
180220.3091310324
〈投手成績〉
登板投球回自責点防御率
1300.00

記念すべき初代の背番号6は、アメリカ出身の捕手ハリス(バッキー・ハリス)。サザンカリフォルニア大から米マイナーを経て、球団創設初年度の1936年に名古屋軍でプレーした。日系ではない外国人選手としては最初期にあたる存在で、打率.309と打撃でも存在感を示した。名古屋軍在籍は1936年のみで、翌年にはイーグルスへ移籍している。系譜の出発点にふさわしい、異色の初代背番号6だった。

芳賀直一【創設期のレギュラー内野手】

1913年6月7日生/ドラフト制度前(1936年入団)

右投右打/内野手/プロ通算8年

背番号6の期間:7年(1937〜1943)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
573346.180210836

中京商出身の内野手で、1936年の名古屋軍創設メンバーの一人。当初は背番号21だったが、1937年途中から6番を着け、以後は戦前の主力内野手として長く番号を守った。打率こそ低めだが、名古屋軍のレギュラーとしてチームを支え、戦時下の苦しい時代までプレーを続けた。背番号6を最も長く(実働で)背負った草創期の顔である。

山本尚敏【快足の外野手】

ドラフト制度前

外野手/プロ通算3年

背番号6の期間:3年(1946〜1948)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
254103.18634449

終戦直後の1946年から3年間、背番号6を着けた外野手。254試合で49盗塁と、足を武器にした快速の外野手だった。混乱期のプロ野球で中日(中部日本)の外野の一角を担い、戦後復興期の系譜をつないだ。

野口明【投手兼捕手/最多勝&甲子園3連覇】

1917年8月6日生/ドラフト制度前

右投右打/捕手・投手/プロ通算多数(1936〜1957)

背番号6の期間:6年(1949〜1954)

通算成績

〈打撃成績〉
試合安打打率本塁打打点盗塁
13261169.2516157229
〈投手成績〉
登板勝利敗北投球回奪三振防御率
11349407513282.54

主なタイトル:最多勝利1回(1937年秋)

背番号6の系譜のなかでも屈指の名選手が、投手兼捕手の野口明だ。明・二郎・昇・渉と4人のプロ野球選手を輩出した「野口四兄弟」の長兄で、中京商時代には吉田正男とのバッテリーで夏の甲子園3連覇を達成した名捕手でもある。1936年に東京セネタースへ入団すると、その強肩を生かして主に投手として活躍。1937年秋には15勝を挙げ、西村幸生・スタルヒンと並んで最多勝利のタイトルに輝いた。中日では1949年から正捕手として6番を着け、投打にわたる貢献でチームを支えた、球史に残る万能選手である。

河合保彦【初優勝を支えた捕手】

1933年10月3日生/ドラフト制度前(1952年入団)

右投右打/捕手/プロ通算16年

背番号6の期間:2年(1957〜1958)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1071507.2125824128

岐阜高から1952年に名古屋ドラゴンズへ入団した捕手。1954年の球団初のリーグ優勝・初の日本一には、野口明の控え捕手として貢献した。背番号6を着けたのは1957〜1958年で、その後は西鉄へ移り主力捕手として長く活躍。投手の「河村保彦」とは一字違いの別人で、通算16年のキャリアを送った息の長い捕手だった。

昭和の系譜(1950年代後半〜60年代)

今津光男【114盗塁の快足内野手】

1938年7月8日生/ドラフト制度前(1958年入団)

右投右打/内野手/プロ通算18年

背番号6の期間:3年(1959〜1961)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1389544.19618157114

県立尼崎高出身の内野手で、1959年から背番号6を着けた。通算114盗塁が示すとおり足が武器で、中日から広島、阪急と渡り歩いて実働18年の長いキャリアを築いた。守備・走塁で存在感を発揮した昭和の快足内野手である。

高木時夫【木俣の前の捕手】

1937年4月21日生/ドラフト制度前(1961年入団)

右投右打/捕手/プロ通算13年

背番号6の期間:2年(1961〜1962)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
31476.2151141

県立浦和高・日本大・富士鉄釜石を経て1961年に入団した捕手。中日一筋でプレーしたが、1968年に木俣達彦が台頭すると控えに回った。引退後はスカウトとして山本昌の獲得に関わったことでも知られる。捕手の系譜を静かにつないだ一人だ。

マーシャル【元大リーガーの主砲】

1931年5月25日生/ドラフト制度前(1963年入団)

左投左打/内野手(一塁手)/プロ通算3年(NPB)

背番号6の期間:3年(1963〜1965)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
408402.2687825211

コンプトン大から大リーグ各球団を渡り歩いた元メジャーリーガーのJ.マーシャル(ジム・マーシャル)。1963年から3年間、背番号6を背負って中日の主砲を務め、1963年28本・1964年31本・1965年19本と3年連続で二桁本塁打を放った。帰国後はカブスなどの監督を歴任し、1981〜82年には中日のコーチとして1982年のリーグ優勝にも貢献した、球団と縁の深い助っ人である。

広野功【強打の外野手】

1943年10月16日生/1965年ドラフト3位

右投左打/外野手/プロ通算9年

背番号6の期間:2年(1966〜1967)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
689440.239782648

徳島商から慶応大に進み、1965年のドラフト3位で入団した外野手。1966年に13本、1967年に19本を放つなど、入団直後から長打力を発揮した。その後は西鉄・読売を経て1974年に中日へ復帰。通算78本塁打を積み上げた、強打の外野手だった。

日野茂【昭和40年代の内野手】

1945年1月11日生/1967年ドラフト外

右投右打/内野手/プロ通算6年

背番号6の期間:3年(1968〜1970)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
21551.1984189

県立船橋高・中央大・松下電器を経て、1967年にドラフト外で入団した内野手。1968年から3年間、背番号6を着けた。その後は西鉄・太平洋へ移り、昭和40年代の内野の一角を支えた。派手さはないが、系譜をつないだ堅実なプレーヤーだった。

バート【遊撃で守備の名誉賞】

1940年1月4日生/ドラフト制度前(1971年入団)

右投右打/内野手(遊撃手)/プロ通算2年(NPB)

背番号6の期間:1年(1971)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
246137.18315794

主なタイトル・表彰:ダイヤモンドグラブ賞1回(1972年・遊撃手)

テキサス大からドジャース・メッツでプレーした元大リーガーの内野手、バート(バート・シャーリー)。1971年に中日へ入団し、翌1972年には第1回ダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を遊撃手部門で受賞した。遊撃でこの賞を獲得した外国人選手は、今日に至るまでバートただ一人。打撃は非力だったが、正確でダイナミックな守備で投手陣の信頼を集め、名手・高木守道との二遊間を彩った“守備特化型”の助っ人だった。

1970〜80年代の系譜

江島巧【のちロッテの捕手】

1949年11月24日生/1967年ドラフト2位

右投右打/捕手/プロ通算16年

背番号6の期間:1年(1972)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1187473.2235621124

平安高から1967年のドラフト2位で入団した捕手。中日で背番号6を着けたのは1972年の1年だが、その後ロッテへ移籍すると、長く実働16年にわたって活躍した。通算56本塁打と、捕手としては打撃にも力のある選手だった。

井上弘昭【“ポパイ”/74年V戦士】

1944年5月21日生/1967年ドラフト1位

右投右打/外野手/プロ通算18年

背番号6の期間:8年(1973〜1980)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
15311058.25915551774

北陽高・電電近畿を経て、1967年のドラフト1位で広島に入団した外野手。1973年に中日へ移ると背番号6を着け、以後8年にわたって主力として活躍した。「ポパイ」の愛称で親しまれ、1974年の球団20年ぶりのリーグ優勝には3番打者として大きく貢献。通算1058安打・155本塁打を積み上げ、引退後は中日の打撃コーチも務めた。背番号6を最も長く着けた選手の一人である。

正岡真二【中日一筋の内野手】

1949年8月15日生/1967年ドラフト4位

右投右打/内野手/プロ通算17年

背番号6の期間:4年(1981〜1984)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1188288.21925935

今治南高から1967年のドラフト4位で入団し、中日一筋で17年プレーした内野手。背番号6を着けたのは1981〜1984年で、キャリアの後半は代走・守備固めとしてベンチを支えた。1188試合に出場しながら派手な数字は残していないが、堅実な守備と機動力でチームに欠かせない働きを続けた、いぶし銀のユーティリティープレーヤーだった。

上川誠二【落合トレードの一人】

1960年3月27日生/1981年ドラフト外

右投左打/内野手(二塁手)/プロ通算12年

背番号6の期間:2年(1985〜1986)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1170872.2715128259

箕島高・三協精機・大昭和製紙を経て、1981年にドラフト外で入団した二塁手。1984年には打率.309をマークするなど、堅実な打撃と守備で活躍した。1986年オフ、落合博満を中日へ迎えるための4対1の交換トレードでロッテへ移籍。“落合の(対価の)一人”として球史に名を残しつつ、移籍後も息の長いプレーを続けた。

オレ流と平成の系譜

落合博満【史上唯一の三冠王3回】

1953年12月9日生/1978年ドラフト3位

右投右打/内野手/プロ通算20年

背番号6の期間:7年(1987〜1993)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
22362371.311510156465

主なタイトル・表彰:三冠王3回(1982・85・86年)/首位打者5回(1981〜83・85・86年)/本塁打王5回(1982・85・86・90・91年)/打点王5回(1982・85・86・89・90年)/最高出塁率7回(1982・85〜88・90・91年)/MVP2回(1982・85年)/ベストナイン10回(1981〜86・88〜91年)

※以下は主なタイトルに含めない
・最多安打(1994年制定の公式タイトルで、当時は非タイトル)
・正力松太郎賞2007年(監督としての受賞)

背番号6の系譜における最大の主役が、“オレ流”落合博満だ。秋田工から東洋大を中退し、社会人・東芝府中を経て1978年のドラフト3位でロッテに入団。1982年に史上最年少(当時)で三冠王に輝くと、1985・86年にも連続で三冠王を獲得し、通算3度という前人未到の記録を打ち立てた。1987年にトレードで中日へ移籍すると背番号6を着け、日本人初の1億円プレーヤーとしても話題を集めた。1989年には史上初となる両リーグでの打点王を達成。中日でも本塁打王・打点王を重ね、球団を代表するスラッガーとして君臨した。

その後は巨人・日本ハムでもプレーし、1995年には通算2000安打を達成(名球会入りは辞退)。通算510本塁打は歴代でも屈指の数字で、通算打率.311もトップクラスだ。2011年には野球殿堂入りを果たしている。引退後は中日の監督として4度のリーグ優勝と日本一に導き、選手としても監督としても超一流の足跡を残した。背番号6の歴史を語るうえで、絶対に外せない大打者である。

金村義明【近鉄の主砲】

1963年8月27日生/1981年ドラフト1位

右投右打/内野手/プロ通算18年

背番号6の期間:2年(1995〜1996)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1262939.25812748734

報徳学園高で1981年に春夏連続甲子園出場を果たし、同年ドラフト1位で近鉄に入団した内野手。近鉄では「10.19」に象徴される優勝争いを主力として支えた強打者だった。1995年に中日へ移籍して背番号6を着け、2年間プレー。その後は西武へ移り、通算127本塁打を積み上げた。引退後は解説者・タレントとしても幅広く活躍している。

久慈照嘉【新人王/平成の牛若丸】

1969年4月19日生/1991年ドラフト2位

右投左打/内野手(遊撃手)/プロ通算14年

背番号6の期間:5年(1998〜2002)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
1199811.257615351

主なタイトル:最優秀新人(新人王)1992年

東海大甲府高・日本石油を経て、1991年のドラフト2位で阪神に入団した遊撃手。1年目の1992年、非力ながら堅実な守備で121試合に出場し、新庄剛志らを抑えてセ・リーグ新人王に輝いた(本塁打0本での野手の新人王受賞は史上初)。1998年に中日へ移籍して背番号6を着けると、鉄壁の遊撃守備で1999年のリーグ優勝に貢献。「平成の牛若丸」と称された守備の名手で、のちにチームメイトとなる井端弘和も、その華麗なグラブさばきに一目置いていたという。

2000年代以降の系譜

井端弘和【アライバの遊撃手】

1975年5月12日生/1997年ドラフト5位

右投右打/内野手(遊撃・二塁)/プロ通算18年

背番号6の期間:11年(2003〜2013)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
18961912.28156510149

主なタイトル・表彰:ベストナイン5回(2002・2004〜2007年)/ゴールデングラブ賞7回(2004〜2009・2012年)

堀越高から亜細亜大に進み、1997年のドラフト5位で入団した内野手。荒木雅博との鉄壁の二遊間コンビ「アライバ」の一角として、2000年代の中日黄金期を支えた。広い守備範囲と堅実な打撃を武器に、ベストナイン5回・ゴールデングラブ賞7回を受賞。1・2番コンビでクリーンナップにつなぐ役割も担い、攻守にわたってチームの要となった。

背番号6は2003年から11年間の長きにわたって着用。通算1912安打と、2000本安打まであと88本に迫るキャリアを積み上げた。2014年に巨人へ移籍して現役を終えたのちは、2013年WBCでの活躍も記憶に新しく、指導者としても侍ジャパンを率いる存在となっている。背番号6の歴代でも屈指の名選手だ。

平田良介【ベストナイン&GGの外野手】

1988年3月23日生/2005年高校生ドラフト1巡目

右投右打/外野手/プロ通算17年

背番号6の期間:9年(2014〜2022)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
12271046.26810548441

主なタイトル・表彰:ベストナイン1回(2015年)/ゴールデングラブ賞1回(2018年)

大阪桐蔭高から2005年の高校生ドラフト1巡目で入団した外野手。井端の背番号6を受け継ぎ、2010年代のドラゴンズの中軸を担った。2015年に自身初のベストナインに選出されると、2018年には打率.329をマークし、サイクル安打の達成とゴールデングラブ賞受賞という充実の1年を送った。広角に長打を打てる打撃と強肩を武器にした、球団を代表する外野手だった。

中田翔【打点王3回のスラッガー】

1989年4月22日生/2007年高校生ドラフト1巡目

右投右打/内野手(一塁手)/プロ通算18年

背番号6の期間:2年(2024〜2025)

通算成績

試合安打打率本塁打打点盗塁
17841579.248309108714

主なタイトル・表彰:打点王3回(2014・16・20年)/ベストナイン5回(2013・14・15・16・20年)/ゴールデングラブ賞5回(2015・16・18・20・22年)

大阪桐蔭高で通算87本塁打を放ち、2007年の高校生ドラフト1巡目で日本ハムに入団した右の強打者。日本ハム時代には打点王を3度獲得し、2016年の日本一にも貢献した。巨人を経て2024年に中日へ移籍すると、背番号6を継承。しかし度重なる腰痛に苦しみ、移籍2年目の2025年限りで現役を引退した。通算309本塁打・1087打点と、長打力でリーグを代表したスラッガーだった。中田の引退により、背番号6は現在、次の主を待つ空き番号となっている。

歴代背番号6 全員の通算成績(フルキャリア合計)

歴代21人の通算成績を、それぞれの“フルキャリア”でまるごと合算してみた(中日以外の所属球団もすべて含む)。打者としての打撃成績と、投手を兼ねた選手の投手成績に分けて掲載する。

打撃成績(21人合計)

項目全21選手の合計
試合数21,345
安打15,344
打率.256
本塁打1,708
打点7,206
盗塁859

※各選手のプロ通算(中日以外の所属球団もすべて含む合計)。打率は単純平均ではなく「総安打÷総打数」で算出。

投手成績(背番号6の投手陣合計)

項目投手陣の合計
登板114
勝利49
敗北40
投球回754
奪三振328
防御率2.53

※投手として登板した野口明・ハリスの2人の合計。ハリスは1936年の1登板(3回・無失点)のみで、実質は投手兼正捕手だった野口明の記録。防御率は通算自責点212×9÷通算投球回754で算出。

まとめ

初代のハリスから中田翔まで、中日ドラゴンズの背番号6を背負ったのは21人。史上唯一の三冠王3回を誇る落合博満をはじめ、鉄壁の二遊間で黄金期を支えた井端弘和、遊撃でダイヤモンドグラブ賞を獲った助っ人バート、投手兼捕手として最多勝に輝いた野口明——と、打撃の主役から守備の名手まで、多彩な顔ぶれが番号をつないできた。

強打の内野手や捕手、そして守備の名人が代わる代わる背負ってきた背番号6は、いままさに中田翔の引退で空き番号となっている。この由緒ある番号を次に受け継ぐのは誰になるのか——歴代21人の歩みを振り返ると、その期待はいっそう大きくなる。

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